名豊ビル(めいほうビル)は、愛知県豊橋市駅前大通にあった複合商業施設。1968年(昭和43年)10月8日に開業し[7]、2017年(平成29年)4月30日に閉鎖された[10]

名豊ビル本館
MEIHO BUILDING
2010年12月撮影
名豊ビルの位置(愛知県内)
名豊ビル
情報
用途 複合商業施設
設計者 山下寿郎設計事務所[1][2]・名鉄不動産[1][2]
構造設計者 山下寿郎設計事務所[2]・名鉄不動産[2]
施工 鹿島建設[1][2]
伊藤忠商事[3]
事業主体 名豊ビル[4]
管理運営 名豊ビル[5]

サーラグループ
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造[1]
敷地面積 2,557 m² [6]
建築面積 1,911.9 m² [2]
延床面積 19,353.76 m² [2]
階数 地上9階・地下2階・塔屋3階[2]
高さ 42.26 m[2]
着工 1967年(昭和42年)6月[1]
竣工 1968年(昭和43年)9月[1]
開館開所 1968年(昭和43年)10月8日[7]
所在地 440-0888
愛知県豊橋市駅前大通2-48[1]
座標 北緯34度45分45.54秒 東経137度23分12.79秒 / 北緯34.7626500度 東経137.3868861度 / 34.7626500; 137.3868861座標: 北緯34度45分45.54秒 東経137度23分12.79秒 / 北緯34.7626500度 東経137.3868861度 / 34.7626500; 137.3868861
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地図
地図
名豊ビル新館
MEIHO BUILDING
情報
用途 複合商業施設
階数 地上12階・地下2階
開館開所 1974年(昭和49年)[8]
所在地 愛知県豊橋市駅前大通2-46[9]
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歴史

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前史

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戦前のこの場所には豊橋市立狭間尋常小学校があったが、1945年(昭和20年)6月19日から20日の豊橋空襲で甚大な被害を受けたため、狭間小学校は1949年(昭和24年)12月に閉校となって豊橋市立松山小学校に統合された。

戦後に豊橋駅の駅前広場を占拠する形で形成された「闇市」を1945年(昭和20年)12月31日までに駅前大通の両側と神明町に仮移転[11]。 神明町の仮移転先が公園用地であったことから、1949年(昭和24年)8月31日までに再度の移転を豊橋市当局が要求。 その移転先として、龍拈寺境内と狭間小学校跡地が提供されることになり、1950年(昭和25年)12月に狭間小学校跡地の駅前大通に面する形で「大豊百貨店」が開業した[12]

その「大豊百貨店」を移転するために「牟呂用水」を暗渠化し[13]、その上の萱町橋から大手橋までの間に1965年(昭和40年)に「大豊水上ビル商店街」が建設された[14]

開業から新館の増設へ

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そして、「大豊百貨店」跡地には東三河地方総合開発の一環として「名豊ビル」の建設が計画され、1968年(昭和43年)10月8日に開業した[7][10]

この建設の為、名古屋鉄道が50%を出資したほか[15]豊橋鉄道が10%で他の豊橋財界が40%を出資した[16]名豊ビル」により建設が進められた[4]

開業時には、地下1階がバスターミナル関連施設と食品街で、地上1階から4階までと7階が専門店街で、4階と5階にスーパーの西川屋豊橋店(後のユニー)という商業施設が入居[17]。 7階から9階の豊橋グランドホテル[18]や中日文化センター[19]等を擁する複合ビルだった[17]。 なお、中日文化センターは、後に新館の5階と6階に移転している[20]

当館の開館により、駅前大通の歩行者通行量は、1966年(昭和41年)の約5,700人から約11,100人へ増加した[21]

はざま公園の地下に建設された豊橋バスターミナルは5バースのバスターミナルで同名の企業が管理運営する形で、1969年(昭和44年)8月5日に「自動車ターミナル」の免許申請を行い[22]、同月31日に開業した[23]

その結果、駅前大通の歩行者通行量は、駅前大通の歩行者通行量は、1970年(昭和45年)には約22,800人とさらに増加し、1966年(昭和41年)の約4倍となり、1966年(昭和41年)の約14,500人から約13,000人へ減少した広小路を逆転した[21]

また、1972年(昭和47年)8月に60台収容の駐車場を開設している[24]

そして、1974年(昭和49年)に新館が開業し[8]、9月に[25]ユニー名豊店が増床[26]

サーラグループによる買収から閉館・再開発へ

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2004年(平成16年)3月31日に中部ガスの全額出資子会社・中部ガス不動産が名古屋鉄道から株式を取得し、出資比率を2.27%から100%に引き上げて完全子会社化[27]サーラグループの運営に変わった。 2008年(平成20年)に中部ガス不動産株式会社が名豊ビル株式会社を吸収合併し、中部ガス不動産名豊ビル事業部門の運営に変わった[広報 1]

2006年(平成18年)9月30日に豊橋バスターミナルが廃止され[28]月極駐車場となった。[要出典]

2011年(平成23年)6月20日に豊橋グランドホテルが閉館した[29]

名鉄グループだったことから、サーラグループが受け継いだ後も商業施設では名鉄グループのギフトカードが利用可能であった。[要出典]

2017年(平成29年)3月31日をもって本館地下1階からアクセスできた月極駐車場が営業を終了。[要出典]

名豊ビルは2017年(平成29年)4月30日をもって営業を終了し、48年半の歴史に幕を閉じた[10]そして、名豊ビルは2018年(平成30年)に取り壊された。[要出典]

豊橋市は名豊ビル・開発ビル・狭間児童広場跡地で豊橋駅前大通二丁目地区第1種市街地再開発事業が進められ、再開発で出来る施設名が「em CAMPUS」と名付けられた[30]

当館跡地には、「豊橋駅前大通二丁目地区市街地再開発組合」により地下1階・地上24階建ての「em CAMPUS EAST」が建設され、2021年(令和3年)7月1日に竣工した[31]。 「em CAMPUS EAST」は、1階が商業施設で[31]、2階と3階が図書館などの公共施設[31]、4階と5階がオフィスフロアで[31]、7階から24階までが分譲マンションザ・ハウス豊橋」となった[32]


施設概要

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本館

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開業時には、地下1階がバスターミナル関連施設と食品街で[17]、地上1階から4階までと7階が専門店街となっていて[17]、豊橋市の地場資本23店舗・名古屋資本24店舗・豊橋以外の三河資本7店舗・名古屋以外の尾張資本2店舗・静岡県資本2店舗・三重県資本1店舗と東海地方の店舗が多くを占めた他に東京資本19店舗と関西資本6店舗と遠方の資本による出店もあった[33]ユニー名豊店は1992年(平成4年)8月に閉店し、跡地は貸しホールとして運営されていた。[要出典]

2016年時点では店舗は1階に集約され、地下1階及び2階 - 4階は閉鎖されている。5階にイベントホール、6階にギャラリースペースを設け、各種イベントや展示会などに利用されている。6階には中部ガス等のオフィステナントもある。[要出典]

2011年頃までは地下1階から地上4階までが商業施設となっており、かつてはこれらを総称して「ハイショップ名豊[7]」と呼んでいたが、1997年以降は「い・き・い・きプラザ」と呼ばれていた。[要出典]

新館

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5階と6階に豊橋中日文化センターが入居していた[9]1階 - 6階までは、オフィステナントを中心としたゾーンとなっており、名豊ビル事業所を始め、サーラグループの事業室や、時事通信社の豊橋支局等が入居している。[要出典]

はざまビル

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1階は飲食店等、2 - 5階はテナントスペースとなっている。[要出典]

交通アクセス

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g “作品作風 東海の新建築”. 建築と社会 1969年3月号 (日本建築協会) (1969年3月1日).pp47
  2. ^ a b c d e f g h i 『鉄骨橋梁調査年鑑 1969年度版』 城南書院、1969年。pp440
  3. ^ “名豊ビル晴れの完工式 経済文化の中心拠点 東三河都市開発に新風”. 東海日日新聞 (東海日日新聞社): p. 1. (1968年10月8日) 
  4. ^ a b 『中部圏の顔』 中部経済新聞社、1967年12月1日。pp412
  5. ^ “ホテルのあるSC一覧”. ショッピングセンター 1989年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1989年7月1日).pp43
  6. ^ “昭和四十四年度日本ホテル協会春季総会開催”. ホテルレビュー 1969年3月号 (日本ホテル協会) (1969年3月1日).pp16
  7. ^ a b c d “名豊ビル花々しく開館 競い合う名店街 目をみはる豊橋っ子”. 東海日日新聞 (東海日日新聞社): p. 3. (1968年10月9日) 
  8. ^ a b 上谷雄一 “若手経営者人国記(29)豊橋の巻”. 商工ジャーナル 1985年10月号 (商工中金経済研究所) (1985年10月).pp36
  9. ^ a b “巻末資料 全国民間カルチャー事業協議会会員名簿”. カルチャーエイジ 1997年2月号 (全国民間カルチャー事業協議会) (1997年2月).ppIV
  10. ^ a b c “さようなら名豊ビル”. 東海日日新聞 (東海日日新聞社). (2017年5月1日). http://www.tonichi.net/news/index.php?id=60101 2017年5月2日閲覧。 
  11. ^ 『豊橋市戦災復興誌』 豊橋市、1958年10月17日。pp350
  12. ^ 『豊橋市戦災復興誌』 豊橋市、1958年10月17日。pp364-365
  13. ^ “スーパーマーケットがやってくる”. 三河評論 1963年9月号 (月刊三河評論) (1963年9月).pp22
  14. ^ 『豊橋めぐり』 東三文化会、1982年8月。pp196
  15. ^ 『年報"系列の研究" 1967年 第1部上場企業編』 経済調査協会、1967年12月1日。pp326
  16. ^ 花村芳樹 『地方商業の現状と課題-3-豊橋市の場合』 長崎県立国際経済大学論集 26号 (愛知大学経営会計研究所) (1972年10月)。pp103
  17. ^ a b c d “17億8千万円で結着した 豊橋サンマート問題の"第一ラウンド"”. 中部財界 1981年9月号 (中部財界社) (1981年9月).pp86
  18. ^ “五〇万都市浜松に結婚式場+レストランを出す 豊橋グランドホテルの「当節ホテル事情」”. 中部財界 1980年8月号 (中部財界社) (1980年8月).pp9
  19. ^ 『中日新聞三十年史 創業85年の記錄』 中日新聞社、1972年12月。pp113
  20. ^ “「まさか」と思った読売アカデミーがなんと中日文化センター隣地に進出した豊橋「文化戦争」”. 中部財界 1980年5月号 (中部財界社) (1980年5月).pp85
  21. ^ a b 花村芳樹 『地方商業の現状と課題-3-豊橋市の場合』 長崎県立国際経済大学論集 26号 (愛知大学経営会計研究所) (1972年10月)。pp109
  22. ^ “6 旅客自動車”. 運輸審議会半年報 昭和44年7-12月号 (運輸審議会) (1970年).pp115
  23. ^ 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年6月。pp1027
  24. ^ 花村芳樹 『地方商業の現状と課題-3-豊橋市の場合』 長崎県立国際経済大学論集 26号 (愛知大学経営会計研究所) (1972年10月)。pp118
  25. ^ “SC情報”. ショッピングセンター 1974年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年6月1日).pp59
  26. ^ “ようやく大同団結に動くユニーの胸の内 株式上場控えて進撃体制建て直し”. 中部財界 1974年5月号 (中部財界社) (1974年5月).pp77
  27. ^ 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp102
  28. ^ “豊橋市バスターミナル、9月末の廃止決定”. 東日新聞. (2006年6月1日). オリジナルの2007年3月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070311045142/http://www.tonichi.net/news.php?mode=view&categoryid=1&id=12155 
  29. ^ “20日に閉館で感謝イベント”. 東日新聞 (東海日日新聞社). (2011年6月14日)
  30. ^ 酒井博章(2020年11月21日). “豊橋駅前新施設、名称は「em CAMPUS」 来夏先行完成”. 中日新聞 (中日新聞社)
  31. ^ a b c d “「emCAMPUS EAST」(東棟)+「豊橋市まちなか広場」が完成”. 日刊建設工業新聞 (日刊建設工業新聞社). (2021年10月29日).pp15
  32. ^ 加藤広宣(2020年11月21日). “豊橋駅前「再開発ビル」施設概要決まる”. 東愛知新聞 (東愛知新聞社)
  33. ^ 花村芳樹 『地方商業の現状と課題-3-豊橋市の場合』 長崎県立国際経済大学論集 26号 (愛知大学経営会計研究所) (1972年10月)。pp107

広報など1次資料

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  1. ^ 会社概要”. 中部ガス不動産. 2023年6月13日閲覧。

参考文献

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  • 豊橋百科事典編集委員会『豊橋百科事典』豊橋市、2006年