名古屋市立高坂小学校
名古屋市天白区の公立小学校
名古屋市立高坂小学校(なごやしりつ たかさかしょうがっこう)は愛知県名古屋市天白区高坂町にあった公立小学校[6]。
名古屋市立高坂小学校 | |
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北緯35度6分28.7秒 東経136度59分9.42秒 / 北緯35.107972度 東経136.9859500度座標: 北緯35度6分28.7秒 東経136度59分9.42秒 / 北緯35.107972度 東経136.9859500度 | |
過去の名称 | 名古屋市立天白小学校島田分校[1] |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
校訓 | 清く美しく 強くたくましく 明るく高らかに[2] |
設立年月日 | 1969年(昭和44年)9月1日[3] |
閉校年月日 | 2024年(令和6年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制[4] |
学校コード | B123210002476 |
小学校コード | 230433[5] |
所在地 | 〒468-0025 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
2020年(令和2年)時点で児童数115名・各学年1クラスと小規模な小学校であった[7]。
児童数の減少に伴い2024年(令和6年)3月31日をもって閉校。同年4月からしまだ小学校と統合して、名古屋市立たかしま小学校が設立される[8][9]。
歴史
編集沿革
編集校名の由来となった「高坂」の地名は一帯が丘陵地で古くから高坂と呼ばれていたことに由来する[10]。
- 1967年(昭和42年) - 名古屋市立天白小学校島田分校として開校[1]。
- 1969年(昭和44年) - 名古屋市立高坂小学校として独立開校[1]。プール完成[1]。
- 1972年(昭和47年) - 名古屋市立しまだ小学校が本校から分離独立[1]。
- 1973年(昭和48年) - 体育館兼講堂完成[1]。
- 1975年(昭和50年) - 名古屋市立相生小学校が本校から分離独立[1]。
- 1980年(昭和55年) - 校歌「ぼくも わたしも」を制定・校旗樹立[1]。校歌「ぼくも わたしも」は作詞:柴田豊[注 1]・作曲:清水成幸[注 2][11]。
- 2007年(平成19年) - 特別支援学級「たんぽぽ」を新設[1]。
- 2013年(平成25年) - 特別支援学級「たんぽぽ2組」を新設[1]。
- 2024年(令和6年)3月31日 - 閉校。
- 4月 - 名古屋市立しまだ小学校と統合され、名古屋市立たかしま小学校が設立。
児童数の変遷
編集『愛知県小中学校誌』(1998年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[3]。
1969年(昭和44年) | 1,210人 | |
1977年(昭和52年) | 755人 | |
1987年(昭和62年) | 391人 | |
1997年(平成9年) | 276人 |
校訓
編集「清く美しく 強くたくましく 明るく高らかに」[2]
通学区域
編集- 天白区島田黒石・高坂町の全域[12]
- 島田が丘の一部(一部はしまだ小学校)[12]
- 土原四丁目・天白町大字島田字黒石の一部(一部は天白小学校)[12]
- 久方二丁目・久方三丁目の一部(一部は相生小学校)[12]
本校が位置する高坂学区の人口は天白区内の学区では最も少ないほか[注 3]、65歳以上の高齢化率も40%を超え市内最高となっている[10]。本校も少子化による児童数減少の影響を受け、2019年(令和元年)12月時点ではクラス替えができない1学年1学級の状態となっており[注 4]、名古屋市教育委員会は学校の統合[注 5]を検討[17]。2024年3月をもって閉校、しまだ小学校と統合することになった[8]。
学校周辺
編集- 豊田工業大学[6]
- 名古屋市立久方中学校[6]
- 高坂幼稚園
隣接する公立小学校区(閉校(2024年3月)時点)
編集いずれも名古屋市立の小学校である。
- 相生小学校学区(天白区) - 当学区の西側
- 桃山小学校学区(緑区) - 当学区の南側
- しまだ小学校学区(天白区) - 当学区の北側・東側
進学先中学校
編集名古屋市では公立学校選択制が導入されていないため、高坂小学校を卒業した児童の公立中学校進学先は名古屋市立久方中学校となる[12](進学時に学区の変更を伴う転居などがない場合)。
交通アクセス
編集最寄りバス停は名古屋市営バス(市バス)の「高坂小学校」バス停(徒歩300メートル)および「大根荘」バス停(徒歩約500メートル)であった[6]。
- 原駅(名古屋市営地下鉄鶴舞線)併設の「地下鉄原」バス停から市バス幹原1系統・原12系統・徳重13系統に乗車して「高坂小学校」バス停で下車(乗車時間約10分)[6]
- 相生山駅(名古屋市営地下鉄桜通線)付近の「地下鉄相生山」バス停から市バス幹原1系統・相生11系統に乗車して「高坂小学校」バス停で下車(乗車時間約4分)[6]
- 八事駅(名古屋市営地下鉄名城線・鶴舞線)から市バス八事11系統に乗車して「大根荘」バス停で下車(乗車時間約16分)[6]
出身人物
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 2代目校長(1972年度 - 1974年度)[1]。
- ^ 3代目校長(1975年度 - 1978年度)[1]。
- ^ 学区人口は1990年(平成2年)の5,041人をピークに減少し続けており、2016年(平成28年)4月時点では人口3,770人(65歳以上の人口割合は2015年12月1日時点で41.7%)と高齢化が進んでいる[13]。高坂学区は人口の30%を市営住宅「高坂荘」(全20棟)の住民が占めているが[13]、学区の中心をなす高坂荘は老朽化を理由に子育て世代から敬遠され、それが人口減・少子化の要因になっているとともに2017年時点で住人の高齢化率が60%超になっている[14]。
- ^ 本校の児童数は最盛期の1974年(昭和49年)には1,478人いたが、翌1975年に人口増のため相生小を分離した[13]。その後は人口減少により児童数も減少し、2016年度の児童数は124人になっている[13]。
- ^ 統合先は2010年時点では相生小学校が検討されていたが[15]、2019年時点でしまだ小学校が検討された[16]。
- ^ 佐藤は「工藤と同じ小中学校で自分が1年先輩」と述べている[18]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l “学校のあゆみ”. 名古屋市立高坂小学校. 名古屋市教育センター. 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ a b “平成31年度 高坂小グランドデザイン” (PDF). 名古屋市立高坂小学校. 名古屋市教育センター (2019年). 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ a b 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 1998, p. 401.
- ^ “6年1組の教室”. 名古屋市立高坂小学校. 名古屋市教育センター. 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ “小学校学校コード一覧表” (PDF). 椙山女学園中学校. 学校法人椙山女学園. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 高坂小.
- ^ “学校の特色”. 名古屋市立高坂小学校. 名古屋市教育センター. 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ a b “「新しい友達つくる」統合で最後の校歌斉唱も 愛知の公立小中学校で修了式”. 中日新聞web. 中日新聞社 (2024年3月22日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “2023年度公立学校の卒業式、三学期(後期)終業式、2024 年度入学式及び一学期(前期)始業式の実施期日等について” (PDF). 愛知県教育委員会. pp. 5-6 (2024年3月7日). 2024年4月6日閲覧。
- ^ a b “学区紹介 ~高坂学区はどんなところ?~”. 高坂学区公式ウェブサイト. 高坂連合自治会 (2019年9月1日). 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ “高坂小学校校歌 ぼくも わたしも”. 名古屋市立高坂小学校. 名古屋市教育センター. 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(天白区)” (PDF). 名古屋市公式サイト. 名古屋市 (2019年9月1日). 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ a b c d 『中日新聞』2016年4月26日朝刊名古屋市民版16頁「市内一の高齢化打開へ 天白・高坂学区 65歳以上4割、住民ら始動」(中日新聞社・記者:市川泰之)
- ^ 『中日新聞』2017年5月12日朝刊名古屋市民版20頁「高齢化対策に若い世代を 高坂荘 劇的リフォーム」(中日新聞社・記者:蜘手美鶴)
- ^ “小規模校対策に関する実施計画” (PDF). 名古屋市公式サイト. 名古屋市教育委員会. pp. 19-20 (2010年9月). 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ “しまだ小学校における学校の統合に関する説明・意見交換会(令和元年12月13日・14日)” (PDF). 名古屋市公式サイト. 名古屋市教育委員会 (2019年12月14日). 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ “高坂小学校の統合に関する説明・意見交換会の開催結果”. 名古屋市公式サイト. 名古屋市 (2019年12月23日). 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
- ^ a b “佐藤啓の「ご歓談ください」:中京テレビ アナウンスルーム » 「スポーツスタジアム」で偉大なる後輩にインタビュー!!”. 中京テレビ放送 (2011年8月9日). 2019年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月4日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1981年8月14日朝刊県内版・名古屋市民版15頁「名電 1万応援団燃える 息子よくやった 工藤の父」(中日新聞社)
- ^ 「1983年開幕ワイド特集 開幕直前 この男たちの夢と現実と不安 工藤公康(西武) 不安見せない強心臓男の現代的開幕の迎え方」『週刊ベースボール』第38巻第17号、ベースボール・マガジン社、1983年4月18日、33-34頁。(※1983年4月18日号・通巻第1398号)
- ^ 『中日ドラゴンズ 2001ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2001年3月9日、24頁。ISBN 978-4806204251。
参考文献
編集- 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 編『六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌』1998年3月1日。
関連項目
編集外部リンク
編集- “名古屋市立高坂小学校のページ”. 名古屋市立高坂小学校. 名古屋市教育センター. 2020年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。