佐藤啓 (アナウンサー)

日本のアナウンサー

佐藤 啓(さとう はじめ、1962年7月20日 - )は、日本フリーアナウンサー、元中京テレビ放送のアナウンサー。愛知県名古屋市出身。南山大学卒業。血液型O型

さとう はじめ
佐藤 啓
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 愛知県名古屋市
生年月日 (1962-07-20) 1962年7月20日(62歳)
血液型 O型
最終学歴 南山大学卒業
職歴 中京テレビ放送
活動期間 1990年5月 -
ジャンル スポーツ番組情報番組
公式サイト [1]
出演番組・活動
出演中次の瞬間、熱くなれ。THE BASEBALL
キャッチ!
出演経歴ズームイン!!朝!
SPORTS STADIUM
ズームイン!!SUPER

スキンヘッドが特徴。

来歴

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名古屋市立高坂小学校名古屋市立久方中学校愛知県立昭和高等学校を経て、南山大学に進学。

南山大学在学時、中京テレビ土曜夕方のローカル番組『5時SATマガジン』にどんな出来事や状況も実況するリポーターとして出演していた[1]

大学卒業後は損害保険会社で働いていたが[2]、中学時代から抱き続けていた実況アナウンサーになる夢を諦めきれず、1990年5月に中京テレビに中途採用で入社した。同期に同局アナウンサーの恩田千佐子と元同局アナウンサーの石田史枝がいるが[3]、どちらも新卒入社であるため、異業種からの転職者である佐藤とはかなりの年齢差がある。

中京テレビへの入社以来、プロレス中継では実況を、プロ野球中継では中日ドラゴンズサイドのリポーターを主に務めていた。愛知県下で行われる全日本プロレスプロレスリング・ノアボクシングなどの試合ではもちろんのこと、他の地方で行われる試合においても日本テレビ系列局各局から声が掛かるため、出張という形で実況やリポートに携わることがある。近年では2014年2月22日のプロレスリング・ノアディファ有明大会(日テレG+にて2月28日放送)において、2月22日にFUJI XEROX SUPER CUP、2月23日に東京マラソン、両日に読売ジャイアンツのオープン戦と日テレ系のスポーツ中継が立て込んだため、実況アナウンサーとして参加している。

スポーツ中継のほか、入社翌年4月から[4] 2001年9月まで日本テレビ系全国ネット番組『ズームイン!!朝!』で東海地区キャスターを務めていた。同番組の「プロ野球いれコミ情報」のコーナー出演時には苗字になぞらえた背番号「310」が入った衣装を着用し、また、途中から頭髪を全て剃り上げた状態[注 1]で出演するようになった。同番組の終了後も『ズームイン!!SUPER』で引き続きキャスターを務めたが、この番組においては「佐藤啓の日本不思議紀行」という冠コーナーを与えられていた。過去に3度放送された同番組の絶叫コースター特番では、日本担当のリポーターとして出演していた。

2010年6月22日付でアナウンス部の部長に就任し[6]、2015年6月23日付で退任。その後は現場業務中心の専門職を務めている[7]

2022年12月31日を以て定年退職したが、再雇用で2023年も番組出演を継続[8]

2023年12月末をもって中京テレビを退社しフリーになることを、中京テレビHP内のアナウンサーブログで発表した[9]

人物

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また旧制京都府立第二中学校(現在の京都府立鳥羽高等学校)が第1回全国中等学校優勝野球大会で優勝した際、決勝戦となった旧制秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)戦で延長13回にサヨナラ勝ちで優勝を決めた際にホームインして得点を挙げたランナーは佐藤の大伯父(母方の祖母の兄)に当たるとのことである[10][11]

1994年に結婚しており、当時、『ズームイン!!朝!』で読売テレビアナウンサーで中継キャスターだった森たけしも披露宴に出席している。また、札幌テレビ元アナウンサーで中継キャスターだった森中慎也(現日本大学教授)、当時、タレントで関東地区レポーターとして出演していた堀敏彦テレビ新潟アナウンサーを経て、現フリー)とも交友関係がある[注 2][注 3]

福岡ソフトバンクホークス監督工藤公康は名古屋市立高坂小学校・名古屋市立久方中学校の1年後輩に当たる[12][注 4]

2020年に母校の南山大学の前身である名古屋外国語専門学校からプロ野球の高橋ユニオンズへ入団した滝良彦の生涯を評伝としてまとめた『無名の開幕投手』(桜山社)を出版した[11]

現在の担当番組

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  • Fun!BASEBALL!! (中日ドラゴンズベンチリポーター) - 『劇空間プロ野球』時代から担当。アナウンス部長就任以後は部下である吉田太一と2012年6月までアナウンス部に在籍していた尾原秀三に任せ、自身の出演を減らしていた。
  • その他のスポーツ中継プロレスバレーボールなど)
  • ピカイチ名古屋チャンネル(YouTubeの番組) - 局アナ時代の2022年3月に初出演を果たすが、この時は別の映像媒体への露出ということもあり、プロ野球『巨人×中日』の開幕3連戦の放送告知をさせてもらうことが出演条件だった。フリーになって以降は2024年1月からMCを担当する機会が増えている。

過去の担当番組

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学生時代

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中京テレビ

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著書

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脚注

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注釈

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  1. ^ スキンヘッドになった経緯を2021年3月22日放送分[5]の『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』にて「屈辱の歴史」として披露した。MCの若林正恭はこのエピソードトークを「完パケ」と絶賛、「ハゲ落語」と命名した。また、薄毛のため剃り上げようか悩んでいた一般の出演者に対し「迷うことはない、(頭髪を見て)これからの回復は無理、(ハゲの進行を)止める事すら出来ない、進むだけなのでだったら自分の手で進ませる方が(いい)。『迷わず剃れよ』と言いたい。」とアドバイスした。
  2. ^ 森、森中、堀とのエピソードは、中京テレビアナウンスページの『佐藤啓の「ご歓談ください」』にて記載されている。
  3. ^ 森と一緒に読売テレビアナウンサーで中継キャスターだった辛坊治郎は佐藤が『ズームイン!!朝!』中継キャスターになる1年前に番組を離れていて『朝!』時代は辛坊とは重なっておらず、『SUPER』となってから辛坊がニュース解説で、佐藤が中継レポーターで出演してから初めて出演時期が重複した。
  4. ^ 工藤は名古屋市立高坂小学校出身で[13]、佐藤は「工藤と同じ小中学校で自分が1年先輩」と述べている[12]
  5. ^ 2007年9月24日・10月15日放送分では中京テレビのスタジオからの中継参加で、同年10月1日・10月8日放送分では読売テレビのスタジオに訪れていた。佐藤は出演回のほとんどで川又米利と同伴して登場し、川又の突っ込み役を務める一方で、総合司会の宮根誠司からいじられていた。
  6. ^ 2021年3月22日放送分では薄毛に悩む一般出演者(ぜひらー)にアドバイスを行う立場として出演、同年5月10日放送分では岡田健太郎田村浩平両アナウンサーの研修担当という立場で出演、2023年12月5日放送分では静岡第一テレビ秋元啓二アナウンサーのお悩み相談役として途中から出演、2024年3月25日放送分では『先日のアナウンサーSPで自分を偽って出演していました。最後にここで全てを吐き出させてください。』とのクチコミで出演。

出典

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  1. ^ 佐藤啓 (2016年11月14日). “昭和区高峯町の社屋とお別れ”. 佐藤啓の「ご歓談ください」. 中京テレビ. 2016年11月21日閲覧。
  2. ^ 佐藤 啓”. アナウンスルーム. 中京テレビ. 2002年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月14日閲覧。
  3. ^ 佐藤啓 (2014年10月25日). “再会を喜ぶ①”. 佐藤啓の「ご歓談ください」. 中京テレビ. 2016年11月21日閲覧。
  4. ^ 佐藤啓 (2011年3月13日). “さよなら、ズームイン!!その13”. 佐藤啓の部長短信(現・佐藤啓の「ご歓談ください」). 中京テレビ. 2013年4月11日閲覧。
  5. ^ 中京テレビでの放送日
  6. ^ 佐藤和輝 (2010年6月23日). “暑さの回避策”. 佐藤和輝のカズ打ちゃ当てる. 中京テレビ. 2010年8月14日閲覧。
  7. ^ 佐藤啓 (2015年6月26日). “「ご歓談ください」にタイトル変更のワケ”. 佐藤啓の「ご歓談ください」. 中京テレビ. 2015年6月26日閲覧。
  8. ^ 前田麻衣子 (2022年12月30日). “先輩!おつかれさまでした。”. 中京テレビ. 2022年12月30日閲覧。
  9. ^ 佐藤啓 (2023年11月29日). “「局アナ」を引退します。”. 中京テレビ. 2023年12月5日閲覧。
  10. ^ 佐藤啓 (2018年8月5日). “今年で100回、夏の高校野球”. 佐藤啓の「ご歓談ください」. 中京テレビ放送. 2020年12月12日閲覧。
  11. ^ a b c 蛭間豊章 (2020年12月11日). ““ズームイン!!朝!”の名物アナが野球本を書いた。「無名の開幕投手」滝良彦の軌跡”. スポーツ報知. 報知新聞社. https://hochi.news/articles/20201211-OHT1T50196.html 2010年12月11日閲覧。 
  12. ^ a b 佐藤啓の「ご歓談ください」:中京テレビ アナウンスルーム » 「スポーツスタジアム」で偉大なる後輩にインタビュー!!”. 中京テレビ放送 (2011年8月9日). 2019年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月4日閲覧。
  13. ^ 「1983年開幕ワイド特集 開幕直前 この男たちの夢と現実と不安 工藤公康(西武) 不安見せない強心臓男の現代的開幕の迎え方」『週刊ベースボール』第38巻第17号、ベースボール・マガジン社、1983年4月18日、33-34頁。 (※1983年4月18日号・通巻第1398号)

外部リンク

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