吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年明治12年)5月1日[1] - 1948年昭和23年)6月20日[2][3])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家衆議院議員神奈川県津久井郡吉野町長。

経歴

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吉野十郎の長男として神奈川県津久井郡吉野駅(吉野町、藤野町相模原市を経て現同市緑区吉野)に生まれ[3]1900年(明治33年)12月、家督を相続する[1]学習院から第一高等学校を経て[3]1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し[2]台湾銀行に入行[1]。同行秘書課勤務・助役補を務めた[1]

1931年(昭和6年)奉天にて事業を興し、満州中央銀行の創立に関わり、奥地開発や日満経済の連携に尽くした[3]。また、醸造酒販売会社を設立し日本酒の中国進出を行った[3]。中国の済南青島にも土地を買い入れ盛隆を極めた[3]

1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では神奈川県第5区から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。ほか、日本興業銀行[注 1]行員、台湾銀行調査課長、同庶務課長、同秘書課長、東洋拓殖会社奉天支店長、奉天商業会議所会頭、哈爾濱取引所長、八王子醸造工業、昭和商会、興亜醸造各取締役、日本合金監査役を歴任した[2]

敗戦により海外資産を失った後は、残った資財で東京に帝国繊維株式会社を設立した[3]。また、1946年(昭和21年)4月から1947年(昭和22年)3月まで郷里の吉野町長を務めた[3]。墓所は相模原市緑区吉野の浄光寺[3]

親族

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  • 父:吉野十郎(津久井郡長)[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ みずほ銀行の前身行のひとつ。

出典

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参考文献

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