吉田 太郎一(よしだ たろういち、1919年大正8年)12月24日[1] - 2014年平成26年)3月14日[2])は、日本の財務官僚京都府出身[1]

来歴

編集

関東財務局長大蔵省大臣官房審議官銀行局担当)、経済企画庁長官官房長を経て、1972年昭和47年)大蔵省銀行局長1974年(昭和49年)財務官に就任。

1976年(昭和51年)に退官。その後、アジア開発銀行総裁東京金融先物取引所理事長を歴任し、1993年(平成5年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章[3]

2014年3月14日午前10時40分、肺気腫のため東京都世田谷区の自宅で死去。94歳没。

略歴

編集

著書

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 吉田太郎一 とは 【事典・辞書サイトkotobank】
  2. ^ “吉田太郎一氏が死去 元財務官”. 日本経済新聞. (2014年3月17日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1701I_X10C14A3CC0000/ 2020年2月11日閲覧。 
  3. ^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊
  4. ^ 吉田太郎一氏が死去 元財務官 日本経済新聞 2014年3月17日