吉田太郎一
吉田 太郎一(よしだ たろういち、1919年(大正8年)12月24日[1] - 2014年(平成26年)3月14日[2])は、日本の財務官僚。京都府出身[1]。
来歴
編集関東財務局長、大蔵省大臣官房審議官(銀行局担当)、経済企画庁長官官房長を経て、1972年(昭和47年)大蔵省銀行局長。1974年(昭和49年)財務官に就任。
1976年(昭和51年)に退官。その後、アジア開発銀行総裁、東京金融先物取引所理事長を歴任し、1993年(平成5年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章[3]。
略歴
編集- 東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]
- 1944年(昭和19年)9月 大蔵省入省(主計局兼主税局)[1]
- 1946年(昭和22年)3月 東京財務局理財部管理課
- 1947年(昭和22年)5月8日 堺税務署長
- 1948年(昭和23年)6月21日 横須賀税務署長
- 1949年(昭和24年)10月18日 東京国税局総務部総務課長
- 1950年(昭和25年)8月 理財局為替政策課
- 1951年(昭和26年)4月 理財局為替審査課長補佐
- 1952年(昭和27年)11月 大蔵大臣秘書官事務取扱
- 1954年(昭和29年)11月 大臣官房文書課長補佐
- 1956年(昭和31年)10月 派遣職員(国際通貨基金)
- 1960年(昭和35年)10月1日 銀行局金融制度調査官
- 1962年(昭和37年)6月1日 銀行局中小金融課長
- 1964年(昭和39年)7月6日 銀行局銀行課長
- 1965年(昭和40年)7月23日 大臣官房調査課長
- 1966年(昭和41年)8月1日 大臣官房文書課長
- 1968年(昭和43年)6月25日 関東財務局長
- 1969年(昭和44年)8月15日 大臣官房審議官(銀行局担当)
- 1971年(昭和46年)7月1日 経済企画庁長官官房長
- 1972年(昭和47年)6月27日 銀行局長
- 1974年(昭和49年)6月26日 財務官
- 1976年(昭和51年)6月11日 大蔵省顧問
- 1976年(昭和51年)11月 アジア開発銀行総裁[1]
- 1981年(昭和56年)12月 日本興業銀行顧問
- 1989年(平成元年)4月 東京金融先物取引所理事長[1]
- 1993年(平成5年)11月3日 叙勲一等授瑞宝章
- 2014年(平成26年)3月14日 肺気腫のため死去[4]。94歳没。
著書
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 吉田太郎一 とは 【事典・辞書サイトkotobank】
- ^ “吉田太郎一氏が死去 元財務官”. 日本経済新聞. (2014年3月17日) 2020年2月11日閲覧。
- ^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊
- ^ 吉田太郎一氏が死去 元財務官 日本経済新聞 2014年3月17日