吉瀬維哉
日本の大蔵官僚
吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003年12月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。
来歴・人物
編集神奈川県横浜市生まれ。横浜第一中学校時代、「開校以来の秀才」と言われていた[1]。第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業し、1946年に大蔵省へ入省。大臣官房文書課に配属[2]。1948年7月に高等試験行政科を合格。1949年6月に千葉税務署長、1954年11月1日)に大阪国税局調査査察部次長。主計局主計官補佐(農林係)を経て、1959年5月10日 農林省大臣官房調査官(農林漁業基本問題調査会事務局)、1960年12月1日 東京国税局直税部長、1961年 東京国税局直税部長兼東京国税局総務部長、1962年6月1日 国税庁直税部法人税課長、1964年7月6日 主計局主計官(外務、通産担当)、1966年8月1日 大臣官房秘書課長、1969年8月 大阪国税局長、1971年6月 主計局次長、1973年6月26日に経済企画庁長官官房長、1974年6月26日に理財局長、1975年7月8日に主計局長兼会計事務職員研修所長、1977年6月に事務次官に就任。戦後に入省した大蔵官僚の中でもっとも早く次官に到達した。退官後、日本開発銀行副総裁を経て日本開発銀行総裁に就任した。三井住友海上火災保険顧問、初等社顧問[3]、財団法人トラスト60会長、レールシティ汐留企画代表取締役、磐梯リゾート会長、国鉄再建監理委員会委員なども務めた。1994年、勲一等瑞宝章受章[4]。2003年12月22日、脳出血のため死亡した。
主な著書
編集- 「新税務会計講座」
- 「法人税法」
- 「都市のシルエット」
脚注
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