吉武安正
吉武 安正(よしたけ やすまさ、1899年(明治32年)5月11日[1] - 1967年(昭和42年)2月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集佐賀県出身[1][2]。1921年(大正10年)7月に陸軍士官学校第33期卒業[3]。1930年(昭和5年)12月に陸軍大学校に入学し、1933年(昭和8年)11月に同校第45期卒業[4]。
1940年(昭和15年)8月、陸軍省人事局補任課高級課員、1941年(昭和16年)3月、参謀本部防衛課長を経て、同年8月、陸軍大佐に進む[2]。大東亜戦争に突入すると1943年(昭和18年)3月、歩兵第233連隊長に補され[2]、宜昌に展開する[1]。
内地に帰還し、1944年(昭和19年)3月、教育総監部第1課長兼参謀本部教育課長を経て、1945年(昭和20年)3月、兼職を免じられ、同年4月、第57軍参謀長に補され、同年6月、陸軍少将に進んだ[2]。本土決戦に備え鹿児島県財部に防衛陣地を構築中に終戦を迎えた[1]。終戦後の10月18日には佐賀連隊区司令官に就任した[5]。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。