吉川屋
吉川屋(よしかわや)は、福島県福島市の飯坂温泉郷に所在するホテルである。
吉川屋 | |
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ホテル概要 | |
運営 | 有限会社吉川屋 |
階数 | 1 - 11階 |
部屋数 | 100室 |
駐車場 | 150台 |
開業 | 1841年(天保12年)6月 |
最寄駅 | 福島交通飯坂線飯坂温泉駅 |
最寄IC | 東北自動車道福島飯坂IC |
所在地 |
〒960-0282 |
位置 | 北緯37度50分36.6秒 東経140度26分12.9秒 / 北緯37.843500度 東経140.436917度座標: 北緯37度50分36.6秒 東経140度26分12.9秒 / 北緯37.843500度 東経140.436917度 |
公式サイト | 公式サイト |
施設
編集福島交通飯坂線飯坂温泉駅から北西へ約2km。歓楽型温泉の要素のある飯坂温泉の中心部から奥まった、奥飯坂温泉とも呼ばれる穴原温泉に位置する。「層雲閣」「紫雲閣」「紅雲閣」「凌雲閣」の4館からなり、最も新しい凌雲閣は地上11階建て[1]。総客室数は100室[2]。
自家源泉を有しており、泉質は弱アルカリ性単純温泉[3]。浴室は凌雲閣1階の「藤太の湯」と露天風呂「さるあみの湯」、紫雲閣1階の「弁天の湯」と露天「かもしかの湯」があり[注釈 1]、いずれも摺上川渓谷と対岸の片倉山の景観を望む。他に、貸切風呂「湯野〜YUNO〜」や、露天風呂付客室がある。
料理長は関西で修業を積み、2019年の旅行新聞新社主催第44回「プロが選ぶホテル・旅館100選」料理部門で全国3位、総合部門10位に入選している[4][注釈 2]。福島県北部は桃の産地で知られ、夏季には桃をふんだんに使った創作会席料理を提供する[6]。館内には2023年4月に[7]、江島神社から分霊した撫で桃を御神体とした「もも神社」が創建された[8]。
七代目社長の畠正樹は漫画に造詣が深く、稼働率が下がっていたクラブを2023年4月に改装し、4000冊の漫画を所蔵するブックラウンジ「ふくろう」をオープンした[9]。飯坂温泉では地域ぐるみで温泉むすめ「飯坂真尋」を通じた取り組みを進めており[10]、オリジナルグッズの販売や等身大パネル・「祭壇[11][注釈 3]」の設置、コラボ宿泊プランを実施している[13]。七代目社長は大学時代より本格的に漫画を描いており[9]、創業170周年の際には穴原温泉開湯の言い伝えの俵藤太伝説[注釈 4]にちなんだオリジナルキャラクター「かむろみ三姉妹」を制作した。創業180周年に合わせ、温泉むすめの公式イラストレーターのらぐほのえりかがリメイクした等身大パネルが作成された[17]。
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ご神体の撫で桃を祀る「もも神社」。
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約4000冊の蔵書のあるブックラウンジ。
歴史
編集創業は1841年(天保12年)[注釈 5]で、豪農の畠栄吉が半農半商で開いた湯治宿が始まりと伝えられる[19]。第二次世界大戦後は軍閥に接収され、傷痍軍人の療養所として使用された[18]。七代目社長が入手した昭和30年代のパンフレットによると200畳の宴会場や総大理石の大浴場を備え、温泉宿としては比較的早い時期から客室にベッドを導入していた[20]。1984年、1989年と1996年の3回にわたり、大規模な増築が行われた[18]。
2011年3月11日の東日本大震災では3週間全面休業し、県の要請により南相馬市や飯舘村からの被災者約230人、復興支援関係者約400人[21]を受け入れた。2019年コロナウイルス感染症の影響はさらに深刻で、2020年4月7日から2か月間の全面休館を余儀なくされたが、従業員の雇用は維持した[18]。
平成時代の天皇・皇后[注釈 6]は、1995年の第50回国民体育大会の際に吉川屋に宿泊[18]。東日本大震災後の2013年7月にも福島県を行幸し、吉川屋に宿泊している[22]。その際、桑折町の桃農家を訪問する予定であったが悪天候で急遽取りやめとなり、館内の会議室で桃農家や農業協同組合関係者らと懇談会を行った[23]。
囲碁の本因坊戦や将棋の竜王戦の対局の場としても知られ、1995年の第48期本因坊戦[18]、1997年の第10期竜王戦第2局[24]以降、吉川屋で複数回開催されている。2020年11月12・13日に豊島将之と羽生善治の対局を予定していた第33期竜王戦第4局は、羽生の発熱により延期となった。吉川屋での対局は実現しなかったものの、前夜祭を急遽「歓迎の夕べ」に変更し、豊島や、立会人を予定していた島朗、サプライズゲストの日本将棋連盟会長佐藤康光らが登壇した[25]。羽生は後日、妻とともにプライベートで福島を訪れ、吉川屋に宿泊している[26]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 時間帯による男女入れ替え制。日帰り入浴は日曜日のみ受け付けている。
- ^ 2024年の同ランキングでは料理部門9位、もてなし部門11位、企画部門16位、総合13位[5]。
- ^ ファンの間では、各地の温泉地の宿泊施設や観光協会に設置された祭壇に、他の温泉地の温泉むすめの缶バッジなどのグッズを「奉納」する風習がある[12]。
- ^ 俵藤太(藤原秀郷の幼名)が大蛇の化身の乙姫の願いを受け、大百足を弓で射り退治する。乙姫の勧めで、泉の水で血に汚れた衣服をすすぐと、水が温泉に変わった、という伝説[14]。同様の俵藤太の大百足退治の伝説は、滋賀県[15]や栃木県佐野市[16]などにも伝わる。
- ^ 正確な記録は残されていないが、敷地内の祠に刻まれた建立の日付から、天保12年には営業を始めていたと推測される[18]。
- ^ 明仁、美智子夫妻。2019年5月1日より、それぞれ上皇、上皇后。
出典
編集- ^ 5つ星の宿 匠のこころ吉川屋(観光経済新聞)
- ^ 吉川屋 施設情報(日本旅行)
- ^ 福島市の温泉旅館「吉川屋」日帰り温泉も楽しめる源泉かけ流しの宿(ANA)
- ^ プロが選ぶホテル・旅館100選 2019
- ^ プロが選ぶホテル・旅館100選 2024
- ^ “心と舌で感じる贅沢なひととき「桃会席」~匠のこころ 吉川屋~”. 福島市観光ノート(福島市観光コンベンション協会) (2023年8月17日). 2024年4月22日閲覧。
- ^ “【福島市】もも神社に「ももみくじ」登場!シークレットは、飯坂真尋ちゃん|穴原温泉・吉川屋”. Yahoo!ニュース. (2023年8月13日). オリジナルの2024年4月24日時点におけるアーカイブ。 2024年4月25日閲覧。
- ^ “吉川屋で、桃を思う存分撫でてみませんか?(宿泊施設からのお知らせ)”. じゃらん (2024年3月1日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ a b “【飯坂】穴原温泉・吉川屋【畠正樹】社長が選んだ【おすすめマンガ】”. 政経東北 (2023年7月16日). 2024年4月21日閲覧。
- ^ “<連載>『温泉むすめ』と共に歩む 第二回 ~ 飯坂温泉 吉川屋 畠 正樹さん ~”. 温泉むすめ公式サイト(株式会社エンバウンド) (2021年4月6日). 2024年4月21日閲覧。
- ^ 真尋ちゃん祭壇巡り
- ^ “温泉むすめ 奉納という文化”. 松之山温泉 十一屋商店 (2021年11月18日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ 吉川屋×温泉むすめ
- ^ おらが湯 藤太湯伝説(福島県中小企業団体中央会)
- ^ 俵藤太と大百足退治
- ^ “藤原秀郷と唐沢山城跡”. 佐野市役所教育部文化財課 (2019年12月2日). 2024年4月22日閲覧。
- ^ “穴原温泉「かむろみ三姉妹」パネル登場 吉川屋社長自らデザイン”. 福島民友. (2022年7月1日). オリジナルの2022年7月1日時点におけるアーカイブ。 2024年4月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 畠 隆章「吉川屋の歴史」(PDF)『飯坂ロータリークラブ週報』第2530巻、飯坂ロータリークラブ、2020年11月26日、2024年4月21日閲覧。
- ^ “【福島市・穴原温泉】 手間暇かけ守る名湯 山肌迫る片倉山の絶壁”. 福島民友. (2019年8月4日). オリジナルの2019年8月4日時点におけるアーカイブ。 2024年4月21日閲覧。
- ^ “【ダシマス老舗・吉川屋】人を大切に。183年の歴史を背負って歩み始めた社長の想いとは”. ダシマス(インビジョン株式会社) (2021年1月22日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ “福島県・吉川屋レポート 震災1カ月「普段」がそこにあった”. 旅行新聞 (1418). (2011年5月11日) 2024年4月25日閲覧。
- ^ 天皇皇后両陛下行幸啓 (PDF)
- ^ 山崎まゆみ (2019年6月1日). “上皇・上皇后さま「おもてなしの宿」秘話 被災地の「美智子さま」ガッツポーズに涙”. デイリー新潮. 2024年4月21日閲覧。
- ^ “竜王戦中継Plus「吉川屋」”. 日本将棋連盟 (2015年11月19日). 2024年4月21日閲覧。
- ^ “【竜王戦福島歓迎会日誌】豊島竜王と吉川屋の“神対応””. 読売新聞. (2020年11月13日) 2024年4月21日閲覧。
- ^ “羽生九段「また竜王戦に挑戦を」…妻の理恵さんと福島観光も”. 読売新聞. (2020年12月16日) 2024年4月21日閲覧。