吉尾村 (千葉県)

日本の千葉県安房郡にあった村

吉尾村(よしおむら)は、千葉県安房郡長狭郡)にかつて存在した村。現在の鴨川市の西部に位置している。

よしおむら
吉尾村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
大山村吉尾村主基村長狭町
現在の自治体 鴨川市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
安房郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 16.65 km2
総人口 3,528
国勢調査、1950年)
隣接自治体 安房郡大山村、主基村、曽呂村君津郡三島村関豊村
吉尾村役場
所在地 千葉県安房郡吉尾村
座標 北緯35度07分57秒 東経140度00分33秒 / 北緯35.13253度 東経140.00928度 / 35.13253; 140.00928 (吉尾村)座標: 北緯35度07分57秒 東経140度00分33秒 / 北緯35.13253度 東経140.00928度 / 35.13253; 140.00928 (吉尾村)
吉尾村 (千葉県)の位置(千葉県内)
吉尾村 (千葉県)
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地理

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現在の鴨川市西部に位置する。嶺岡山地の北麓に位置する。加茂川の上流にあたり、房総半島を横断する古い交通路である長狭街道が通る。

現在の鴨川市域を、鴨川市成立時およびその後の合併時の町村によって4地区に区分する場合、旧大山村の地域は「長狭地区」の一部に位置付けられている。鴨川市域を町村制施行当時の町村(旧町村)によって12地区に区分する場合は「吉尾地区」とされ[1]、現在の大字では大幡(おおはた)・北風原(ならいはら)・寺門(てらかど)・横尾(よこお)・細野(ほその)・松尾寺(まつおじ)・大川面(おおかわづら)・仲(なか)・宮山(みややま)・吉尾平塚(よしおひらつか)が含まれる[1][注釈 1]

1926年(大正15年)時点の吉尾村は、東に主基村、西に大山村と接し、北は房総山脈を隔てて君津郡三島村に、南は嶺岡山脈を隔てて曽呂村丸村と接していた[3]:1084。当時は全村を大幡・北風原・細野・横尾・寺門・松尾寺・大川面・宮山・仲・八丁の10区に分けていた[3]:1088

歴史

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安房郡域の町村制施行時の町村
(※1897年に平郡・朝夷郡・長狭郡を安房郡に編入)
1.北条町 2.館山町 3.豊津村 4.西岬村 5.富崎村 6.長尾村 7.豊房村 8.神戸村 9.館野村 10.九重村 11.稲都村
平郡】21.凪原村〔のち那古町〕 22.船形村 23.八束村 24.富浦村 25.岩井村 26.勝山村 27.保田村 28.佐久間村 29.平群村 30.滝田村 31.国府村
朝夷郡】41.白浜村 42.七浦村 43.曦村〔のち千倉町〕 44.健田村 45.千歳村 46.豊田村 47.丸村 48.北三原村 49.南三原村 50.和田村 51.江見村
長狭郡】61.太海村 62.大山村 63.吉尾村 64.由基村〔のち主基村〕 65.田原村 66.鴨川町 67.曽呂村 68.西条村 69.東条村 70.天津村 71.湊村〔のち小湊町〕
現在の行政区画
赤:館山市 桃:鴨川市 紫:南房総市 橙:鋸南町

和名類聚抄』(和名抄)に記載のある長狭郡丈部(はせつかべ)郷について、大幡の「作壁」付近に比定する説がある[4]

この地域の村は、古くは横尾郷・吉保(きっぽ)郷に分属していた[5]。かつて仲村・宮山村・大川面村は「吉保村」という一つの村であったが、元和4年(1618年)に3つに分村したという[5]

1878年(明治11年)、千葉県に郡区町村編制法が施行されると、細野村・横尾村・松尾寺村・寺門村の連合(連合戸長役場)、大川面村・仲村・宮山村の連合、大幡村・北風原村・釜沼村の連合が成立[5]。1884年(明治17年)に戸長役場の管轄変更が行われた際、大幡村・北風原村は古畑村外3村[注釈 2]と連合し、その他の村は1つの連合にまとまった[5]

1889年町村制の施行にともない大幡村・北風原村・松尾寺村・寺門村・細野村・横尾村・大川面村・宮山村・仲村が合併して吉尾村が発足[5]。新村名は、往古の吉保郷・横尾郷の名から一字ずつを取って折衷したものである[5]

行政区画・自治体沿革

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経済

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1888年(明治21年)に記された分合取調文書によれば、住民はおおむね農業で生計を立てていたとある[5]

1926年(大正15年)の『安房郡誌』によれば、村は純農村で、副業として畜産・養蚕・林業・果樹・園芸を挙げている[3]:1089。同書では林業を将来有望な産業としている[3]:1089

畜産業・乳業

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明治20年代頃より民間でも酪農業が盛んになった[6]

1902年(明治35年)に吉尾村に吉尾煉乳所が建設され、安房地域で最初に真空鍋を導入して煉乳を生産したが、経営不振で廃業[7]。1906年(明治39年)には大川面に真田煉乳所が工場を設け、煉乳とバターを生産した[7]。事業は成功して磯貝煉乳所(大山村)と並び称された[7]。1913年(大正2年)ごろに嶺岡種畜場の牛乳を引受けることになり、嶺岡農場煉乳製造所と改称した[7]

1916年(大正5年)、吉尾村の中村芳三・保井万次郎・西川健二の兄弟は、勝山町で愛国煉乳合資会社を設立[7]。このころ、嶺岡農場煉乳製造所は愛国煉乳合資会社に事業を譲渡した[7]。翌1917年(大正6年)、森永製菓株式会社は愛国煉乳を買収し、日本煉乳株式会社を設立した(のちの森永乳業[7]

交通

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道路

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名所・旧跡・祭事

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人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 大字の読みは日本郵便の郵便番号検索[2]による。
  2. ^ 古畑村・奈良林村・佐野村。釜沼村とともに、のちに大山村の一部となる。

出典

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  1. ^ a b 大字別世帯数および人口” (pdf). 鴨川市統計書 平成28年版. 鴨川市役所. pp. 18-19. 2018年3月30日閲覧。
  2. ^ 郵便番号検索
  3. ^ a b c d e 千葉県安房郡教育会 編『千葉県安房郡誌』千葉県安房郡教育会、1926年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721 
  4. ^ 長狭郡丈部(はせつかべ)郷(千葉県)”. 千年村プロジェクト. 2018年5月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 吉尾村」『明治22年千葉県町村分合資料 十八 長狭町村分合取調』、20-24頁http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB6002102018年3月30日閲覧 
  6. ^ 安房酪農の歴史”. JA安房. 2018年3月29日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 佐藤奨平「日本練乳製造業の経営史的研究 ―安房地域を中心として―」(pdf)『乳の社会文化学術情報』第2巻、乳の社会文化ネットワーク、2015年2月、31-55頁、2018年3月28日閲覧 
  8. ^ アララギ派の歌人 古泉千樫”. 鴨川市. 2018年3月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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