吉原正隆
吉原 正隆(よしはら まさたか、1881年(明治14年)11月5日[1] - 1926年(大正15年)6月24日[2][3][4][5])は、明治末から大正期の政治家。衆議院議員(立憲政友会)、貴族院多額納税者議員。位階は正五位[5]。勲等は勲三等[5]。
吉原正隆 よしはら まさたか | |
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生年月日 | 1881年11月5日 |
出生地 |
日本 福岡県三潴郡大川町 (現・福岡県大川市) |
没年月日 | 1926年6月24日(44歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法科大学経済科卒業 |
所属政党 |
(立憲政友会→) 研究会 |
称号 |
正五位 勲三等 |
在任期間 | 1925年9月29日 - 1926年6月24日 |
選挙区 |
(福岡県郡部選挙区→) 福岡県第13選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1912年 - 1924年1月31日 |
経歴
編集福岡県三潴郡大川町(現在の大川市)出身[2]。1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学経済科を卒業し、さらに大学院で植民政策学を専攻した[2][6]。
1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選[2]。第14回総選挙に至るまで4回連続当選を果たした[2]。その間、野田卯太郎逓信大臣の秘書官を務めた[2][6]。
1925年(大正14年)福岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任し[7]、研究会に所属し死去するまで在任した[3][8]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。