台湾総督府通信局
台湾総督府通信局(たいわんそうとくふつうしんきょく)は、台湾総督府に置かれた内部部局である。後に台湾総督府所属官署である交通局に移管され逓信部となった。
台湾における郵便・郵便為替・郵便貯金・電信・電話・航路標識に関する事項を担当し、私設鉄道・軌道・航路・船舶・海員・電気事業の監督を掌った。
概要
編集1895年(明治28年)5月、台湾総督府が設置され、その民政局に逓信部が設置された。これが通信局の嚆矢であるが、同年8月に廃止となった。
1896年(明治29年)4月、民政局に通信部が設置されたが、1897年(明治30年)11月に廃止された。
1901年(明治34年)11月、民政部に通信局を設置。1919年(大正8年)6月、逓信局に名称を変更。
1924年(大正13年)12月、逓信局を廃止し、その業務を交通局に移管し逓信部となった。
沿革
編集- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)4月 - 民政局に通信部を設置し[3]、内信課、外信課、為替貯金課、電信課、工務課、海事課、計算課を置く。
- 1897年(明治30年)11月 - 通信部が廃止され[4]、民政局に通信課を置く。
- 1898年(明治31年)6月 - 民政局が民政部となる。
- 1901年(明治34年)11月 - 民政部に通信局を設置[5]。庶務課、郵務課、電務課、海事課を置く。
- 1902年(明治35年)11月 - 通信局は測候所、灯台を所掌[6]。
- 1913年(大正2年)10月 - 庶務課、監理課、工務課 、海事課の四課となる。
- 1919年(大正8年)
- 1920年(大正9年)9月 - 庶務課、監理課、為替貯金課、工務課、海事課の五課となる。
- 1924年(大正13年)12月 - 逓信局を廃止し[9]、その業務を交通局に移管し逓信部となる[10]。
機構
編集最終の組織
- 逓信局
- 庶務課、監理課、為替貯金課、工務課、海事課
- 測候所
- 灯台
歴代局長・部長
編集氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
台湾総督府民政局逓信部長 | ||
不明 | 1895年5月21日 - 6月17日 | |
牧朴真 | 1895年6月18日 - 1895年8月6日 | 心得[11] |
(逓信部廃止) | ||
台湾総督府民政局通信部長 | ||
土居通豫 | 1896年4月23日 - 1897年8月27日 | |
菊池末太郎 | 1897年8月27日 - | |
(1897.11.1通信部廃止) | ||
台湾総督府民政部通信局長 | ||
鹿子木小五郎 | 1901年11月11日 - 1909年7月30日 | |
持地六三郎 | 1909年7月30日 - 1910年12月27日 | |
鈴木三郎 | 1910年12月27日 - 1911年5月11日 | 事務取扱 |
角源泉 | 1911年5月11日 - 1913年3月1日 | 心得 |
角源泉 | 1913年3月1日 - 1915年3月20日 | |
井村大吉 | 1915年3月20日 - 1916年3月22日 | (田中芳男の娘婿) |
広瀬吉郎 | 1916年3月22日 - 1919年5月21日 | |
斎藤愛二 | 1919年5月21日 - 1919年6月28日 | |
台湾総督府民政部逓信局長 | ||
斎藤愛二 | 1919年6月28日 - 1919年8月20日 | |
台湾総督府逓信局長 | ||
斎藤愛二 | 1919年8月20日 - 1921年9月17日 | |
吉田平吾 | 1921年9月17日 - 1924年12月24日 |
脚注
編集- ^ 台湾総督府仮条例(明治28年5月21日)
- ^ 台湾総督府条例(明治28年8月6日陸達第70号)
- ^ 台湾総督府民政局官制(明治29年3月31日勅令第90号)
- ^ 台湾総督府官制(明治30年10月21日勅令第362号)
- ^ 台湾総督府官制中改正ノ件(明治34年11月11日勅令第201号)
- ^ 台湾総督府官制中改正追加台湾総督府測候所官制、台湾総督府灯台所官制及台湾総督府海事局官制廃止ノ件 (明治35年11月18日勅令第257号)
- ^ 台湾総督府官制中改正ノ件(大正8年6月28日勅令第311号)
- ^ 台湾総督府官制中改正ノ件(大正8年8月20日勅令第393号)
- ^ 台湾総督府官制中改正ノ件(大正13年12月25日勅令第427号)
- ^ 台湾総督府交通局官制(大正13年12月25日勅令第429号)
- ^ 高橋雄豺「牧朴真」『明治警察史研究』第4巻・後編、高橋雄豺、令文社、1972年、391頁。