可児市立中部中学校
岐阜県可児市にある中学校
可児市立中部中学校(かにしりつ ちゅうぶちゅうがっこう)は、岐阜県可児市広見にある公立の中学校である[1]。広眺ヶ丘(ひろみがおか)という住宅地に隣接して設置されている。
可児市立中部中学校 | |
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北緯35度25分15.2秒 東経137度4分17.1秒 / 北緯35.420889度 東経137.071417度座標: 北緯35度25分15.2秒 東経137度4分17.1秒 / 北緯35.420889度 東経137.071417度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 可児市 |
設立年月日 | 1949年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C121221400024 |
所在地 | 〒509-0214 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
校訓
編集強く、賢く、美しく[2]
生徒数
編集実績
編集学力
編集2018年の全国学力・学習状況調査では、全科目(国語A,国語B,数学A,数学B,理科)において全国平均を下回る結果が出ている[2]。
教育
編集可児川、久々利川の水質調査など、環境教育に力を入れており、2008年[5]、2009年に岐阜県より最優秀賞に選ばれている[6]。
沿革
編集- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)8月2日 - 岐阜県議会で学校再配置が審議され、広見町、平牧村、姫治村、久々利村の4町村組合立中学校の設置が正式に決まる。
- 1949年(昭和24年)
- 4月 - 広見中学校、平牧中学校、姫治中学校、久々利中学校を統合し、可児郡広見町・平牧村・姫治村・久々利村学校組合立中部中学校が開校。統合校舎は無く、旧・広見中学校を本校とし、各中学校が分校(平牧分校、姫治分校、久々利分校)となる。
- 9月 - 統合校舎の建設地が決まる。
- 1952年(昭和27年)2月20日 - 統合校舎が完成し、入校式を行う。平牧分校、姫治分校、久々利分校を廃止。
- 1955年(昭和30年)
- 1960年(昭和35年)
- 3月26日 - 4月1日に姫治村が可児町と多治見市に分割されるため、姫治村北小木・大針・大薮・下切字白山・下切字国京の児童は、この日をもって中部中学校から別れ、4月から多治見市立小泉中学校に移る。
- 4月1日 - 可児町姫治村学校組合を解散。
- 1961年(昭和36年)6月14日 - 屋内運動場が完成。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 技術科教室が完成。
- 1984年(昭和59年)3月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造4階建)が完成。
- 1988年(昭和63年)7月 - プールが完成。
- 久々利
- 柿下
- 久々利柿下入会(小滝苑を除く)
- 二野
- 緑ケ丘
- 羽崎
- 羽生ケ丘
- 下切
- 今
- 大森(1501番地6502から6563、1515番地5から7を除く)
- 大森台
- みずきケ丘
- 姫ケ丘
- 松伏
- 広見
- 広見1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、5丁目、6丁目、7丁目
- 瀬田
- 柿田
- 渕之上
- 平貝戸
- 石森
- 石井
- 中恵土
- 広眺ケ丘
進学前小学校
編集著名な卒業生
編集交通アクセス
編集脚注
編集- ^ “本校の概要” (PDF). 岐阜県学校間総合ネット (2003年). 2011年8月7日閲覧。
- ^ a b “中部だより 号外”. 可児市立中部中学校. 2019年3月7日閲覧。
- ^ 株式会社ガッコム. “可児市立中部中学校 » 児童数生徒数情報|Gaccom[ガッコム]”. Gaccom(ガッコム). 2019年3月7日閲覧。
- ^ “学校規模(概要)” (PDF). 可児市立中部中学校. 2011年8月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “最優秀賞 可児市立中部中学校”. 岐阜県環境生活部環境生活政策課. 2011年8月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “活動:環境パピリオン最優秀賞受賞” (PDF). 可児市立中部中学校 (2009年3月26日). 2011年8月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 可児市立小学校・中学校の一覧と通学区域について
- ^ “中部中学校沿革史”. 可児市立中部中学校. 2011年8月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “揖斐祐治”. hakone-ekiden.jp. 2011年8月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c “アクセス” (PDF). 可児市立中部中学校. 2011年8月7日閲覧。[リンク切れ]
参考文献
編集- 可児町史 通史編 (可児町 1980年) P.1020 - 1023
- 可児市史 第三巻 通史編 近・現代 (可児市 2010年) P.578 - 590