古典期
古典期(こてんき)は、時代区分のための用語で、具体的には次のようなものがある。
地中海世界
編集地中海世界研究や西洋文明研究において「古典期 classical period」と言うと、広く古代ギリシアおよび古代ローマが栄えた時代のことを指し、おおむね紀元前8世紀ころから6世紀ころまでの広い範囲を指す。これを「古典古代」とも呼ぶ。この後には、いわゆる「中世」が続く。
古代ギリシア
編集古代ギリシアの「古典期」(英: Classical period)は「アルカイック期」の後、「ヘレニズム期」の前にあたる。具体的な年数は、学者や文脈によって異なるが、基本的にはアテナイで民主政が確立していた紀元前508年から紀元前322年まで[1]、または、ペルシア戦争が終わった紀元前479年からカイロネイアの戦いでギリシアがマケドニアに負けた紀元前338年ころまでを指す。
アテナイで、ポリスの市民を主体とした民主政が高度に繁栄した時代であり、古代ギリシアの最盛期である[2]。
現代人が「ギリシア文化」と聞いて思い出すものは、ほとんどがこの古典期のギリシアのものである[2]。たとえば三大悲劇詩人の活躍。アクロポリスのパルテノン神殿の建築[2]。またソクラテスからプラトンへ、そしてアリストテレスへと、師から弟子へとバトンが継承されるようにしてギリシア哲学が展開していったこと[2]。またヘロドトスやトゥキディデスによって歴史書が書かれたことなど。これらはいずれも、古代ギリシアがペルシア戦争に勝利し、ポリスで民主政治が確立し、ポリスの民主的な社会で自由市民たちによって生み出されたのである[2]。
古代ローマ
編集古代ローマに関して(に限定して)「古典期」と言うと、紀元前1世紀頃から2世紀頃までを指す。共和政ローマ、ローマ帝国の一時期である。
古代ローマで話されていた言葉はラテン語であるが、この時期に実際に話されていたラテン語を「古典期ラテン語」や「古典ラテン語」などと言う。
メソアメリカ
編集メソアメリカ考古学の領域で「古典期 Classic Period (Stage,era)」と言うと、時代区分のひとつで、西暦300年頃から西暦900年までを指す。 始期は、グアテマラ・ティカル出土のライデン・プレートにある長期暦の日付(紀元320年)や29号石碑に刻まれた8.12.14.8.15.(紀元292年)頃を目安としている。一方、終期はトニナーの記念碑101号に刻まれた長期暦の10.4.0.0.0.(紀元909年)を目安としている。この時期までに古典期マヤの諸都市は放棄された。
ゴードン・ランドルフ・ウィリー(Gordon R.Willey)とフィリップ・フィリプス(Philip Phillips)によって1958年に著されたMethod and Theory in American Archaeologyで、新大陸全体の考古遺跡について編年の枠組みを構築しようと試みた五段階時期区分(石期(Lithic)、古期(Archaic)、形成期、古典期(Classic)、後古典期(Postclassic))の四番目の時期として位置づけられたのが初出である。その後、アンデス文明については、アメリカの人類学者たちやルイスG.ルンブレラスの提唱した編年が用いられるようになったため、現在では主としてメソアメリカのみで使われている編年用語である。
一般的には、テオティワカンの影響の強い前期と、マヤ諸都市国家が争った後期とに分ける。以前はテオティワカンの影響は5世紀から開始すると考えられていたので、わざわざ中期(Middle Classic)を置く考え方もあった。
古典期という名称は、古代ギリシア、ローマの古典古代のイメージでギリシャのようにマヤ諸都市が繁栄した時期というイメージの名称であるため、メソアメリカ全体の時代区分としては問題があると言われている。アンデスと統一するため、前期ホライズン(Early Horizon/メソアメリカ;オルメカ/アンデス;チャビン)、前期中間期(Early Intermediate Period/モンテ・アルバンⅡ期、原古典期、イサパなど/地方発展期=モチーカ、ナスカ)、中期ホライズン(Middle Horizon/テオティワカン/ワリ)、後期中間期(Late Intermediate Period/ショチカルコ、トルテカ、マヤ/地方王国期=シカン、チムー)、後期ホライズン(Late Horizon/アステカ/インカ)という区分を主張する研究者もいる。
関連項目
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