原虎一
原 虎一(はら とらいち、1897年〈明治30年〉11月16日[1] - 1972年〈昭和47年〉7月3日[2])は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。
原虎一 はら とらいち | |
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生年月日 | 1897年11月16日 |
出生地 |
日本 岡山県御津郡今村 (現・岡山県岡山市北区) |
没年月日 | 1972年7月3日(74歳没) |
出身校 |
早稲田工手学校卒業[注釈 1] (現・早稲田大学芸術学校) |
前職 | 日本労働組合総同盟総主事 |
所属政党 |
(社会民衆党→) (日本社会党→) 右派社会党 |
称号 |
正五位 勲三等旭日中綬章 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年5月3日 - 1953年5月2日 |
東京市会議員 |
経歴
編集岡山県御津郡今村田中(現・岡山市)で生まれた[1]。早稲田工手学校を卒業した[1][注釈 1]。
1922年(大正11年)[注釈 2]、日本労働総同盟(総同盟)に加入[2]。1924年(大正13年)、東京鉄工組合の設立に関わり主事に就任[1]。その後、総同盟中央執行委員、社会民衆党本部役員、東京市会議員、同参事会員などを歴任[1][2]。1935年(昭和10年)、ジュネーヴで開催の第19回国際労働総会に労働代表顧問として出席した[1][2]。
1946年(昭和21年)、日本労働組合総同盟総主事に就任[1]。1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党所属で出馬して当選し、同院労働委員長を務めた[2]。1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙に右派社会党公認で全国区から立候補したが、落選した[3]。
その他、東京地方裁判所借地借家調停委員、中央労働委員、鉄道会議議員、日本社会党中央執行委員、同埼玉県連会長などを務めた[2]。
1958年(昭和33年)、財団法人日本労働会館理事長に就任した[1]。
1968年(昭和43年)春の叙勲で長年の社会運動や国政参与の功により勲三等旭日中綬章受章(勲八等からの昇叙)[4][5]。
著作
編集- 『労働組合の前進』労働文化社、1947年。
伝記
編集- 『原虎一 : 一労働運動家の生涯』日本労働会館、1988年。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会 | ||
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先代 新設 山田節男 |
参議院労働委員長 | 次代 山田節男 赤松常子 |