協力産業
協力産業有限会社(きょうりょくさんぎょう)は、長崎県西海市に本社のある会社である。かつて九州本土の西海町[注 1]と大島(大島町)、蛎浦島(崎戸町)を連絡する定期航路を運航していた。1999年(平成11年)、大島大橋の開通によって航路は廃止され、2024年(令和6年)現在は主として和洋菓子の製造販売、喫茶・レストランの経営を行っており、定期航路からは撤退している。本項では主にかつて運航されていた定期航路について解説する。
種類 | 有限会社 |
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本社所在地 |
日本 〒857-3101 長崎県西海市崎戸町蠣浦郷1261番地1 |
設立 | 1942年2月17日 |
業種 | 海運業 |
法人番号 | 9310002013299 |
事業内容 |
和洋菓子の製造販売 喫茶・レストランの経営 |
代表者 | 代表取締役 伊達光一 |
資本金 | 300万円 |
発行済株式総数 | 3,000株 |
概要
編集1950年代までは個人事業の渡海船と同様の各航路一日1 - 2往復程度の運航であったが、1963年(昭和38年)、太田和 - 馬込(大島)にフェリー「まごめ丸」が就航し、1974年(昭和49年)には大島で大島造船所が操業を開始したことから輸送量が急増、1980年代には早朝から深夜まで大型両頭フェリーによる一日30往復の運航に至った。一方、島内の集落を巡航する旧来の航路は1975年までに他事業者を含め全廃され、航路としては太田和 - 馬込に集約された形となった[注 2]。 1999年11月11日、大島大橋の開通によって九州本土と寺島、大島が陸路で結ばれ、航路は廃止された。代替公共交通機関としてさいかい交通が路線バスを運行している。
航路
編集廃止時点の航路
編集- 太田和 - 馬込
- 航路距離4.5km、九州本土と大島を結ぶ最短航路として、最後まで運航されたフェリー航路。
- 旅客船時代の1959年(昭和34年)時点で一日11往復[1]、翌年には一日15往復[2][3][4]となった後、フェリー就航後は
- 1966年(昭和41年) - 一日12往復[5]
- 1968年(昭和43年) - 一日15往復[6][7][8][9][10]
- 1972年(昭和47年) - 一日24往復[11][12]
- 1981年(昭和56年) - 一日27往復[13]
- 1982年(昭和57年) - 一日29往復[14]
- 1986年(昭和61年) - 一日30往復[15]
- 1996年(平成8年) - 一日30.5往復[16]
- と増便が続いた。
-
馬込桟橋のフェリー発着場あと(2016年)
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太田和港の旧ターミナルビル(2016年)
-
太田和港のフェリー発着場あと(2016年)
過去の航路
編集すべて旅客船による運航である。
- 面高 - 崎戸 - 七ツ釜 - 馬込[17]
- 寄港地 - 七ツ釜、中浦、柳、阿房下、間瀬、阿房下、天久保、黒口、太田和、馬込、間瀬、阿房下、蛎ノ浦
- 航路距離15浬、一日1往復、他に太田和 - 阿房下間一日1往復。
- 面高 - 天久保 - 黒口 - 馬込 - 間瀬 - 阿房下 - 蛎浦 - 崎戸[1]
- 航路距離33.0km、一日1往復、6月16日 - 12月31日2往復。
- 航路距離28.5km、一日1往復。
- 1973年 - 1975年に廃止。
- 七ツ釜 - 中浦 - 柳 - 阿房下 - 間瀬 - 馬込[1]
- 航路距離16.7km、一日1往復。
- 航路距離19.1km、月間15航海。
- 1973年 - 1975年に廃止。
船舶
編集旅客船
編集- 長浦丸[17]
- 1936年9月進水、木造、用船。
- 19.84総トン、焼玉機関、機関出力40ps、航海速力6ノット、旅客定員51名。
- 第三津吉丸[17]
- 1928年1月進水、木造。
- 36.01総トン、焼玉機関、機関出力63ps、航海速力7ノット、旅客定員55名。
- 第三隆正丸[17]
- 1948年9月進水、木造、用船。
- 12.57総トン、焼玉機関、機関出力30ps、航海速力7ノット、旅客定員39名。
- 大崎丸[17]
- 8.91総トン。
- 太田和丸[1]
- 1938年10月進水、木造。
- 23.52総トン、焼玉機関、機関出力30ps、航海速力6.5ノット、旅客定員64名。
- 金栄丸[1]
- 1950年2月進水、木造、用船。
- 4.5総トン、焼玉機関、機関出力8ps、航海速力4ノット、旅客定員28名。
- 農栄丸[2]
- 1956年8月進水、木造、用船。
- 18.77総トン、ディーゼル、機関出力30ps、航海速力6.5ノット、旅客定員36名。
- 第二西海丸[2]
- 1940年3月進水、木造、用船。
- 15.22総トン、焼玉機関、機関出力30ps、航海速力7ノット、旅客定員30名。
- 第三佐世保丸[5]
- 1949年4月進水、木造。
- 31.91総トン、焼玉機関、機関出力50ps、航海速力7.5ノット、旅客定員80名。
- 若水丸[5]
- 1957年7月進水、木造、個人船主所有・用船。
- 25.07総トン、焼玉機関、機関出力40ps、航海速力8ノット、旅客定員40名。
- 黒福丸[8]
- 1966年5月進水、木造、個人船主所有・用船。
- 5トン未満、ディーゼル1基、機関出力12ps、旅客定員13名。
フェリー
編集- まごめ丸[19]
- 1963年6月竣工、東和造船建造、特定船舶整備公団共有。
- 77.38総トン、ディーゼル1基、機関出力90ps、航海速力7.81ノット、旅客定員95名、大型バス1台。
- 初のカーフェリー、引退後、天草商船に売船。
- 1966年5月竣工、東和造船建造、特定船舶整備公団共有。
- 81.93総トン、ディーゼル1基、機関出力120ps、航海速力9.01ノット、旅客定員93名、大型バス1台・乗用車2台。
- 引退後、三光汽船に売船。
- 第三まごめ丸[21]
- 1970年6月竣工、東和造船建造、船舶整備公団共有。
- 155.65総トン、登録長29.70m、型幅7.00m、型深さ2.60m、ディーゼル1基、機関出力360ps、航海速力9.50ノット、旅客定員150名、大型トラック4台。
- 引退後、雌雄島海運に売船。
- 第五まごめ丸[22]
- 1973年5月竣工、備南船舶工業建造、船舶整備公団共有。
- 199.52総トン、登録長36.10m、型幅9.50m、型深さ2.80m、ディーゼル1基、機関出力600ps、航海速力10.9ノット、旅客定員250名、12tトラック2台・8tトラック2台。
- 第八まごめ丸[23]
- 1963年6月竣工、三菱重工業下関造船所建造、もと関九フェリー「フェリー干珠」。
- 330.83総トン、全長54.31m、型幅9.00m、型深さ3.20m、ディーゼル2基、機関出力1,100ps、航海速力12.5ノット、旅客定員350名、平均航送台数20.9台。
- 第十一まごめ丸[23]
- 1965年12月竣工、神田造船所建造、もと三洋汽船「水島丸」。
- 449.65総トン、全長44.50m、型幅11.50m、型深さ3.60m、ディーゼル2基、機関出力1,700ps、航海速力13.5ノット、旅客定員350名、大型バス6台または大型トラック10台。
- 第十三まごめ丸[23]
- 1978年7月竣工、若松造船建造、船舶整備公団共有。
- 198.64総トン、全長42.10m、型幅9.00m、型深さ2.89m、ディーゼル2基、機関出力940ps、航海速力11.5ノット、旅客定員184名(平水245名)、乗用車20台または大型バス5台。
- 第十五まごめ丸[23]
- 1982年4月竣工、向井造船所建造、船舶整備公団共有、両頭船。
- 456.78総トン、全長54.50m、型幅11.50m、型深さ3.50m、ディーゼル2基、機関出力1,400ps、航海速力10.67ノット、旅客定員400名。
- 第十八まごめ丸[24]
- 1987年12月竣工、林兼船渠建造、船舶整備公団共有、両頭船。
- 485総トン、全長46.65m、型幅13.50m、型深さ3.50m、ディーゼル2基、機関出力1,400ps、航海速力10.50ノット、旅客定員400名、8tトラック9台。
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e 『旅客定期不定期航路事業現況表』,日本旅客船協会,[1959]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2493516 (参照 2024-04-07)
- ^ a b c 『旅客定期・不定期航路事業現況表』,日本旅客船協会,[1960]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2524318 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客定期不定期航路事業現況表』昭和35年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1961]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2494226 (参照 2024-06-25)
- ^ 『旅客定期不定期航路事業現況表』,運輸省海運局定期船課,[1962]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2513296 (参照 2024-06-25)
- ^ a b c d e f 『旅客定期不定期・自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和41年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1967]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2531329 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和43年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1968]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2523860 (参照 2024-04-08)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和44年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1969]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2523859 (参照 2024-04-08)
- ^ a b 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和46年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1971]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065734 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和47年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1973]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065577 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和51年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1976]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12061801 (参照 2024-04-07)
- ^ 運輸省海運局 編『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和52年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1977]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065822 (参照 2024-04-08)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和55年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1980]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065572 (参照 2024-04-08)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和56年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1981]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065733 (参照 2024-04-08)
- ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和57年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1982]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12121864 (参照 2024-04-08)
- ^ 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 P.294 (日刊海事通信社 1986)
- ^ 全国フェリー・旅客船ガイド 1996年下期号 P.346 (日刊海事通信社 1996)
- ^ a b c d e 『旅客定期航路事業現况表』,日本定期船協会,[1955]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1694423 (参照 2024-04-07)
- ^ a b 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和47年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1973]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065577 (参照 2024-06-25)
- ^ 『旅客船 : 機関誌』(54),日本旅客船協会,1963-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810937 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客船 : 機関誌』(68),日本旅客船協会,1966-07. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810951 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客船 : 機関誌』(87),日本旅客船協会,1970-08. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810970 (参照 2024-04-07)
- ^ 『旅客船 : 機関誌』(102),日本旅客船協会,1973-08. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810985 (参照 2024-04-07)
- ^ a b c d 『日本船舶明細書 1983』日本海運集会所、1983年。
- ^ 『日本船舶明細書 1996』日本海運集会所、1996年。
関連項目
編集外部リンク
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