勇者のみ (1965年の映画)
1965年の日米合作映画
『勇者のみ』(ゆうしゃのみ、英語題:None But the Brave)は、1965年に公開された、日米合作による戦争映画である[2]。カラー、東宝スコープ[1]。制作は東京映画とシナトラ・エンタープライズ、配給は日本側が東宝、アメリカ側がワーナー・ブラザース。日本における同時上映は『喜劇 駅前医院』である。
勇者のみ | |
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None But the Brave | |
ポスター | |
監督 | フランク・シナトラ |
脚本 | 須崎勝弥、ジョン・ツウィスト |
製作 |
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出演者 | |
音楽 |
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撮影 | ハロルド・リプシュタイン |
編集 | サム・オスティーン |
制作会社 | |
製作会社 | |
配給 | |
公開 | 1965年1月15日[1][2][3] |
上映時間 | 100分[1][3] |
製作国 |
アメリカ合衆国 日本 |
言語 |
英語 日本語 |
あらすじ
編集この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
太平洋戦争中の南の孤島を舞台に、米軍機が不時着して、島を守る日本兵と米国兵が島唯一の井戸水を巡って対立するが、やがて両者に友情が芽生える。
キャスト
編集アメリカ側
編集- マローニ:フランク・シナトラ
- 空軍大尉デニス:クリント・ウォーカー
- 海兵隊少尉ブレアー:トミー・サンズ
- 空軍無線士ケラー:トニー・ビル
- 海兵隊伍長グラドック:サミイ・ジャクソン
- 海兵隊軍曹ブレーカー:ブラッド・デクスター
- 海兵隊伍長ルフィーノ:リチャード・バカリアン
- 海兵隊一等兵ルース:リチャード・シナトラ
- 海兵隊一等兵ジョンソン:ラフィア・ジョンソン
- 兵隊シアシイ:クリストファー・ダーク
- 海兵隊マギー:フィル・クロスビー
- 海兵隊ホクシー:ドン・ドリル
- 海兵隊スエンショルム:ロジャー・エウイン
- 海兵隊デクスター:ジミー・グリフイン
- 海兵隊ワラー:ハワード・ヤング
- デニス大尉の恋人:ラレイン・スティーブンス
日本側
編集スタッフ
編集- 製作:奥田喜久丸、フランク・シナトラ、ウィリアム・ダニエルス
- エグゼクティブ・プロデューサー:ハワード・W・コッチ
- 原案:奥田喜久丸
- 監督:フランク・シナトラ
- 協力監督:井上和男
- 脚本:須崎勝弥、ジョン・ツウィスト
- 撮影:ハロルド・リプシュタイン
- 特技監督:円谷英二
- 特殊技術:東宝特殊技術部
- 編集:サム・オスティーン
- 音楽:広瀬健次郎、 ジョン・ウィリアムズ
特撮
編集孤島の全景、戦闘機の空戦、墜落する米軍機、大暴風雨などの特撮シーンは、円谷英二率いる東宝特撮スタッフが担当した[2][4]。シナトラは、本作品の打ち合わせで東宝本社を訪れた際に『世界大戦争』(1961年)の試写を観て円谷に依頼することを決めたという[4]。円谷はハワイロケにも参加したのち、ハリウッドで資料収集も行っており、日本とは異なる南海の葉や土の色を再現するために現地で比較用の撮影を行い葉や土の現物も持ち帰っている[4]。
特撮班の撮影は1964年5月に開始されたが、6月からは同年夏公開の『宇宙大怪獣ドゴラ』の撮影が入ったため一時中断し、8月5日に再開したのち同月20日にクランクアップした[4]。
大津波の撮影は、特撮ステージに作った海岸線の巨大なミニチュアへ向けてスロープから大量の水を流すという一発勝負の手法がとられた[5][6][2]。
脚注
編集- ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, p. 547, 「東宝特撮映画作品リスト」
- ^ a b c d e f g 円谷英二特撮世界 2001, p. 105, 「勇者のみ」
- ^ a b 東宝ゴジラ会 2010, p. 297, 「円谷組作品紹介」
- ^ a b c d 「プロジェクト『三大怪獣 地球最大の決戦』」『三大怪獣 地球最大の決戦 コンプリーション』ホビージャパン、2023年9月29日、81-87頁。ISBN 978-4-7986-3284-1。
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 430, 「一般映画の中の特撮」
- ^ 『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、161頁。ISBN 4766927060。
参考文献
編集- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『円谷英二特撮世界』勁文社、2001年8月10日。ISBN 4-7669-3848-8。
- 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6。