加藤泰理
日本の江戸時代後期~末期(幕末)の大名。伊予新谷藩7代藩主加藤泰儔長男で、新谷藩8代藩主。従五位下大蔵少輔
時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文化12年11月21日(1815年12月21日) |
死没 | 慶応3年3月20日(1867年4月24日) |
改名 | 彦之進(幼名)、泰理 |
戒名 | 華岳院 |
墓所 | 東京都松が谷の海禅寺 |
官位 | 従五位下、大蔵少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊予国新谷藩主 |
氏族 | 加藤氏 |
父母 | 父:加藤泰儔 |
妻 |
正室:奥平昌高の娘 継室:楓原氏(側室とも) |
子 | 泰令、済重(次男)、娘(唐橋在綱室)、娘(大橋某室)、娘(室賀某室)、娘(浅井某室)、娘(稲月某室)、娘(小西某室)、娘(矢部興功室) |
略伝
編集文化12年(1815年)11月21日、第7代藩主・加藤泰儔の長男として生まれる。
天保2年(1831年)3月15日、父の隠居で家督を継いだ。藩政においては児玉清徳を登用して文教政策、軍備増強に尽くした。文久2年(1862年)12月20日、家督を長男の泰令に譲って隠居する。
慶応3年(1867年)3月20日、江戸で死去した。享年53。