加茂町 (米子市)
地理
編集米子市の中央部、米子市街地の中心部[1]。
歴史
編集沿革
編集はじめ米子町、1927年(昭和2年)から米子市の町名である[1]。もとは米子町宮ノ町、堀端町の各一部である[1]。1935年(昭和10年)、一部が久米町となり、残余が加茂町1 - 2丁目となった[1]。
宮ノ町・堀端町
編集宮ノ町(みやのちょう)、堀端町(ほりばたちょう)は、江戸期は米子城の武家地だった[1]。宮ノ町の明治初年の戸数は14戸、人口は54人[1]。1889年(明治22年)から米子町に所属、1915年(大正4年)に加茂町となった[1]。堀端町の明治初年の戸数は29戸、人口は123人[1]。1889年(明治22年)から米子町に所属、1915年(大正4年)に西町・加茂町となった[1]。
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区長
編集経済
編集産業
編集- 店舗・企業
- 山陰合同銀行 米子支店(2丁目)
- 山陰中央テレビジョン放送 米子支社(2丁目)
- 中国電力 米子営業所(2丁目)
- 日ノ丸観光トラベル 米子営業所(2丁目)
- テレビ朝日米子支局(2丁目)
- 米子加茂町郵便局(2丁目、日本郵政グループ)
- かつて存在した店舗・企業
世帯数・人口
編集世帯数・人口は1923年(大正12年)、116世帯・506人[1]。1955年(昭和30年)、332世帯・1583人(1丁目216世帯・1105人、2丁目116世帯・478人)[1]。
1965年(昭和40年)、330世帯・1292人(1丁目196世帯・851人、2丁目134世帯・441人)[1]。1975年(昭和50年)、240世帯・752人(1丁目172世帯・555人、2丁目68世帯・197人)[1]。
地域
編集施設
編集- 米子市役所(1丁目)
- 米子商工会議所(2丁目)
- 金光教米子教会(2丁目)
- 賀茂神社天満宮(2丁目)
名所・旧跡
編集出身人物
編集歴史上の人物
編集ゆかりのある人物
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』256、705 - 706、755、910頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『米子自治史』52、54 - 60、201、203、204、266、269頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月16日閲覧。
- ^ “米子市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年10月5日閲覧。
- ^ 『建設業者要覧 1963年』893頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月6日閲覧。
- ^ “米子市町別人口世帯数統計表” (PDF). 米子市. 2024年10月5日閲覧。
- ^ “米子の中江藤樹”. 米子市 (2011年3月22日). 2024年10月5日閲覧。
- ^ a b 『伯耆・出雲郷土史跡めぐり』8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
- ^ 『叙勲名鑑 昭和42年 秋季版』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
- ^ 『法律年鑑 昭和33年版』付録34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
- ^ 。『人事興信録 第22版 上』か201頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第19版 下』の6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
- ^ 『新日本名士録』379頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月6日閲覧。
- ^ 『大衆人事録 第19版 西日本篇』く289頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
参考文献
編集- 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。
- 朝日通信社編『新日本名士録』朝日通信社、1951年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
- 人事興信所編『人事興信録 第19版 下』人事興信所、1957年。
- 法律時報編集部編『法律年鑑 昭和33年版』日本評論新社、1958年。
- 『建設業者要覧 1963年』日刊建設工業新聞社、1962年。
- 人事興信所編『人事興信録 第22版 上』人事興信所、1964年。
- 『叙勲名鑑 昭和42年 秋季版』叙勲名鑑刊行会、1968年。
- 『伯耆・出雲郷土史跡めぐり』鳥取県立米子図書館、1972年。
- 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。