前田孝貞
日本の江戸時代前期~中期の武士。加賀藩人持組頭前田直正の子で、加賀八家前田対馬守家6代当主。従五位下駿河守
前田 孝貞(まえだ たかさだ、寛永5年(1628年)4月 - 宝永4年8月19日(1707年9月14日))は、加賀藩大年寄。加賀八家前田対馬守家第6代当主[1]。
父は加賀藩人持組頭前田直正。母は安見元勝の娘。正室は本多政重の娘。子は前田孝行、前田孝和、小幡長時、前田孝近、本多政敏室。幼名長松。通称は対馬、佐渡。官位は従五位下、駿河守。
生涯
編集寛永5年(1628年)、直正の子として生まれる。寛永8年(1631年)父の死去により、4歳で家督と1万7000石の知行を相続する。幼いため、藩主前田利常の命で叔父前田直成が家政を代行した。寛永20年(1643年)、叔父直成に7000石を分知して禄高1万石となる。正保2年(1645年)、直成が致仕すると、その禄7000石を戻される。慶安中2000石加増。寛文9年(1669年)2000石加増され、禄高2万1000石となる。家老、人持組頭、金沢城代となる。貞享3年(1686年)、大年寄(大老)となる。天和3年(1683年)、小松城代を兼ねる。元禄4年(1691年)12月、従五位下、佐渡守に叙任。翌年正月、京都所司代小笠原長重も佐渡守であることから、駿河守に遷任。元禄14年(1701年)、隠居して家督を孝行に譲り、隠居料3000石を受ける。宝永4年(1707年)8月19日没。享年80。戒名 直指院殿前駿州刺史従五位下義運鱗心大居士。
人物・逸話
編集脚注
編集- ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号
参考文献
編集- 『加賀藩史稿』