冨久錦武光
冨久錦[注 1] 武光(ふくにしき たけみつ、1920年5月23日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。二所ノ関部屋所属[1][2]。北海道空知郡中富良野町出身[1][2]。本名は羽賀 武光(はが たけみつ)[1][2]。最高位は西十両11枚目。得意技は左四つ、寄り。
経歴
編集二所ノ関部屋に入門し、1937年1月場所に出身地の中富良野町から「富良錦」の四股名で初土俵を踏む。1943年1月場所に十両に昇進[1][2]、「冨久錦」と改名する。十両では2場所連続で7勝8敗と負け越し、幕下に陥落した。その後は十両に復帰することなく1945年11月場所に25歳で廃業した[1][2]。
主な成績
編集- 通算成績:70勝60敗5休 勝率.538
- 十両成績:14勝16敗 勝率.467
- 現役在位:19場所
- 十両在位:2場所
場所別成績
編集春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1937年 (昭和12年) |
(前相撲) | (前相撲) | x | |||
1938年 (昭和13年) |
西序ノ口16枚目 5–2 |
東序二段5枚目 3–4 |
x | |||
1939年 (昭和14年) |
西序二段8枚目 5–2 |
東三段目14枚目 2–6 |
x | |||
1940年 (昭和15年) |
東三段目32枚目 5–3 |
東三段目13枚目 4–4 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
西三段目11枚目 6–2 |
東幕下26枚目 4–4 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
西幕下19枚目 7–1 |
東幕下2枚目 5–3 |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
西十両11枚目 7–8 |
西十両14枚目 7–8 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
西幕下筆頭 2–6 |
東幕下18枚目 2–3 |
東幕下23枚目 4–1 |
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1945年 (昭和20年) |
x | 東幕下3枚目 2–3 |
東幕下7枚目 引退 0–0–5 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 富良錦 武光(ふらにしき たけみつ)1937年1月場所 - 1942年5月場所
- 冨久錦 武光(ふくにしき たけみつ)1943年1月場所 - 1945年11月場所
脚注
編集注釈
編集- ^ 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、180頁と『昭和の大相撲 資料編』 313頁には「富久錦」と記載。
出典
編集参考文献
編集- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
関連項目
編集外部リンク
編集- 冨久錦 武光 - 相撲レファレンス