内田正肥
内田 正肥(うちだ まさもと)は、江戸時代後期の大名。下総小見川藩の第5代藩主。小見川藩内田家8代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政2年4月15日(1790年5月28日) |
死没 | 文化13年6月14日(1816年7月8日) |
改名 | 長十郎(幼名)→正肥 |
墓所 | 東京都台東区蔵前の竜宝寺 |
官位 | 従五位下近江守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 下総小見川藩主 |
氏族 | 内田氏 |
父母 | 父:内田正純、母:水野忠見の娘 |
兄弟 | 正肥、内田金次郎室、女子 |
妻 | 正室:松平忠恕の娘 |
子 | 養子:正容 |
生涯
編集寛政2年(1790年)4月15日、第4代藩主・内田正純の長男として生まれる。文化3年(1806年)10月6日、父の隠居により跡を継ぎ、12月に叙任する。竹橋門番、日光祭祀奉行、大番頭を歴任したが、文化12年(1815年)12月に病気を理由に大番頭を辞任し、翌年6月14日に死去。享年27。跡を養子の正容(石河貞通(伊東長丘の五男)の三男)が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 松平忠恕の娘
養子