内田正勝
江戸時代前期の下野国鹿沼藩の世嗣
内田 正勝(うちだ まさかつ)は、江戸時代前期の下野国鹿沼藩の世嗣。通称・右京。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文7年(1667年) |
死没 | 元禄7年5月11日(1694年6月3日) |
別名 | 右京(通称) |
藩 | 下野鹿沼藩世嗣 |
氏族 | 内田氏 |
父母 | 内田正衆、久世広之娘 |
兄弟 |
正勝、正房、正長、久世正広、正清、 水野勝長正室、織田長清継室、小浜行隆正室 |
妻 | 青山幸実娘 |
子 | 正偏 |
略歴
編集2代藩主・内田正衆の長男。母は久世広之の娘。正室は青山幸実の娘。子は内田正偏(長男)。
鹿沼藩嫡子として生まれ、延宝5年(1677年)に徳川家綱に初見した。しかし、家督を相続することなく元禄7年(1694年)に早世。享年28。代わって、長男・正偏が嫡子となった。