青山 幸実(あおやま よしざね)は、江戸時代前期の摂津国尼崎藩の世嗣。官位従五位下大蔵少輔

 
青山 幸実
時代 江戸時代前期
生誕 寛永15年(1638年
死没 宝永2年6月17日1705年8月6日
改名 虎助(幼名)、幸実
官位 従五位下大蔵少輔
摂津尼崎藩世嗣
氏族 青山氏(幸成系)
父母 父:青山幸利、母:加藤明成の娘
兄弟 幸実松平信興正室
井上正利の娘
幸督幸澄青山忠重継室、内田正勝正室
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生涯

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寛永15年(1638年)、尼崎藩の第2代藩主・青山幸利の嫡男として誕生した。正室は井上正利娘。

承応元年(1652年)、第4代将軍徳川家綱に拝謁する。承応3年(1654年)に叙任するが、病弱を理由にまもなく廃嫡された。

代わって幸実の長男・幸督が誕生後に嫡子となった。

系譜

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父母

正室

子女

幸実は加藤嘉明の外曾孫に当たる。幸実を通じて幸成系青山家と、江戸時代中期に宮津藩から忠高が養嗣子に入った宗家の丹波国篠山藩主青山家は現代まで嘉明の血統を伝えている。