兼重貞宣
江戸時代前期の長州藩士 (1665-1700)
兼重 貞宣(かねしげ さだのぶ)は、江戸時代前期の長州藩士。家格は物頭組、590石。父は兼重就宣。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛文5年(1665年) |
死没 | 元禄13年4月20日(1700年6月7日) |
改名 | 兼重千太郎(幼名)→兼重貞宣 |
別名 |
兼重定宣 通称:左兵衛、五郎兵衛 |
主君 | 毛利綱広→吉就→吉広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流兼重家 |
父母 | 父:兼重就宣、母:稲垣氏の娘 |
兄弟 | 貞宣、児玉信貞 |
妻 | 河野通政の娘 |
子 | 貞連 |
生涯
編集寛文5年(1665年)に長州藩士の兼重就宣の子として生まれる。
毛利綱広、吉就、吉広の3代に仕え、元禄13年(1700年)4月20日に死去した。享年36。子の貞連(源八、五郎兵衛)が跡を継いだ。