兼重就宣
江戸時代前期の長州藩士 (1631-1694)
兼重 就宣(かねしげ なりのぶ)は、江戸時代前期の長州藩士。家格は物頭組、590石。父は兼重就継。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛永8年(1631年) |
死没 | 元禄7年10月15日(1694年12月1日) |
別名 | 通称:弥三郎、茂右衛門、五郎兵衛 |
主君 | 毛利秀就→綱広→吉就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流兼重家 |
父母 | 父:兼重就継、母:西清房の娘 |
兄弟 | 就宣、露身、女(児玉就正室)、玄利 |
妻 | 国司就貞の娘 |
子 | 貞宣、児玉信貞 |
生涯
編集寛永8年(1631年)に長州藩士の兼重就継の子として生まれ、寛永20年(1643年)1月28日に毛利秀就の加冠により元服し、「就」の偏諱を与えられて就宣と名乗る。