四平陸軍戦車学校
(公主嶺陸軍戦車学校から転送)
四平陸軍戦車学校(しへいりくぐんせんしゃがっこう)とは、満州四平にあった大日本帝国陸軍の軍学校(実施学校)のひとつである。
概要
編集機甲部隊将兵の教育訓練の拡充を目的として、陸軍公主嶺学校の戦車教導隊を基幹に「公主嶺陸軍戦車学校」が創設された。その後「四平陸軍戦車学校」に改称された。
前身
編集沿革
編集組織・教育区分
編集総合機甲部隊の運用および射撃の教育研究を担当
人事
編集歴代校長
編集- 富永恭次 少将(陸士25期):1940年12月2日 - 1941年4月10日
- 星野利元 少将(陸士25期):1941年4月10日 - 1942年9月1日 (*1942年8月1日 中将 )
- 名倉栞 少将(陸士26期):1942年9月1日 - 1942年11月
*1942年11月:移転。「四平陸軍戦車学校」と改称。補職学校名変更。
- 名倉栞 少将(陸士26期):1942年11月 -1944年7月8日 (*1943年3月9日 兼-教導戦車旅団長 )(*1944年6月 中将 )
- (代理)池田末男 中佐(陸士37期):1944年7月15日 - 1944年12月22日 (*本務:四平陸軍戦車学校教官)
- (代理)北武樹 大佐(陸士27期):1944年12月30日 - 1945年7月26日
歴代幹事
編集- 名倉栞 少将(陸士26期):1940年12月2日 - 1941年7月7日
歴代教官
編集- 重見伊三雄 大佐(陸士27期):1940年12月2日 - 1941年12月1日
- 当山弘道 大佐(陸士28期):1940年12月2日 - 1942年8月1日
- 池田末男 中佐(陸士37期):1941年11月25日 -1942年11月
*1942年11月:移転。「四平陸軍戦車学校」と改称。補職学校名変更。
- 池田末男 中佐(陸士37期):1942年11月 - 1944年12月22日 (*1944年7月15日 :四平陸軍戦車学校長 代理 )
- 重見伊三雄 大佐(陸士27期):1942年12月1日 - 1944年3月1日
研究主事
編集- 細見惟雄 大佐(陸士25期):1939年8月1日- 1940年12月1日
教導戦車連隊長
編集- 玉田美郎 大佐(陸士25期):1940年12月2日 - 1941年10月15日
* 1941年11月21日:教導戦車連隊は、戦車第24連隊に改編[注釈 8]。教導業務は、そのまま委託継続。
学校 附
編集- 北武樹 大佐(陸士27期): - 1945年7月26日
出身者
編集所在地
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 憲兵科を除く各兵科は、兵科の中の一つである各兵種となった。(例)これにより、従来は不可能であった、砲兵大尉を歩兵連隊内の歩兵砲中隊長や、連隊砲中隊長への補職が可能となり、転科手続きなく人事行政に断髪力を持たせ、新兵器・新戦術に対応した戦備・戦力拡大図ることが可能となった。
- ^ 戦車は、歩兵科戦車兵から兵科機甲兵となる。
- ^ 乗車騎兵に歩兵出身者の補職も可能となる。
- ^ 挺身兵には、戦車も山砲もあるが航空であったり、船舶兵には、高射砲や野砲もあるが工兵である等、従来の兵科の垣根を跨るものの柔軟運用が可能となった。
- ^ 公主嶺学校教の教導業務は、そのまま公主嶺陸軍戦車学校教導戦車隊が継続して実施。
- ^ 全ての車輌における操縦・整備・燃料・戦術の研究・教育・行政は機甲本部に一元化。
- ^ 昭和17年3月30日編成完結。昭和17年6月24日教導戦車旅団隷下に編入。
- ^ 戦車第24連隊は1942年3月30日 編成完結。1942年6月24日:教導戦車旅団隷下に編入。
出典
編集- ^ 軍令陸甲第七十六號『戰車第四師團臨時編成要領』
- ^ 文芸春秋編『司馬遼太郎の世界』(単行本、1996年、ISBN 4165053902。文庫版、1999年、ISBN 4167217694。 )「6章 司馬さんの七十二年」より。
参考文献
編集- 山崎重武ほか編集『四平(公主嶺)陸軍戦車学校史 - 満洲第五八三部隊』公四会事務局、1988年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 原剛・安岡昭男編『日本陸海軍事典コンパクト版(上)』新人物往来社、2003年。