八並武治
八並 武治(やつなみ たけじ、1877年(明治10年)12月4日[1][注釈 1] - 1947年(昭和22年)7月10日[1][2])は、明治末から昭和前期の政治家、弁護士。憲政会、立憲民政党、日本進歩党[2]に所属。衆議院議員を通算7期務めた。
八並 武治 やつなみ たけじ | |
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八並武治 | |
生年月日 | 1877年12月4日 |
出生地 | 日本 大分県下毛郡鶴居村 |
没年月日 | 1947年7月10日(69歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
所属政党 |
憲政会 立憲民政党 日本進歩党 |
経歴
編集大分県下毛郡、のちの鶴居村[3][4](現中津市)で、八並甚六の四男として生まれた[5]。第二高等学校[3]から東京帝国大学法科大学(独法)に進み、1909年(明治42年)に卒業[2][3][5]。卒業後は八王子に弁護士事務所を開業し[3]、1915年(大正4年)から翌年まで箕浦勝人逓信大臣の秘書官を務め[1][3]、憲政会に入党した[1]。
1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙で当選。以後、7回の当選回数を数えた[1][2]。その間、加藤高明内閣・第1次若槻内閣で司法参与官、第2次若槻内閣・齋藤内閣で司法政務次官を歴任した[1][2]。その他、法制審議会委員、司法制度調査会委員、司法省行政委員、憲政会幹事長、立憲民政党総務、大政翼賛会本部参与、翼賛政治会評議員、政調司法兼務委員などを務めた[1][2][4]。
国政選挙歴
編集- 第14回衆議院議員総選挙(東京府第12区、1920年5月、憲政会公認)当選[6]
- 第15回衆議院議員総選挙(東京府第12区、1924年5月、憲政会公認)当選[7]
- 第16回衆議院議員総選挙(東京府第7区、1928年2月、立憲民政党公認)次点落選[8]
- 第17回衆議院議員総選挙(東京府第7区、1930年2月、立憲民政党公認)当選[9]
- 第18回衆議院議員総選挙(東京府第7区、1932年2月、立憲民政党公認)当選[10]
- 第19回衆議院議員総選挙(東京府第7区、1936年2月、立憲民政党公認)当選[11]
- 第20回衆議院議員総選挙(東京府第7区、1937年4月、立憲民政党公認)当選[12]
- 第21回衆議院議員総選挙(東京府第7区、1942年4月、翼賛政治体制協議会推薦)当選[13]
脚注
編集注釈
編集- ^ 『翼賛議員銘鑑』429頁では明治12年12月、『大衆人事録 第12版 東京篇』685頁では明治12年12月4日。
出典
編集- ^ a b c d e f g 『日本人名大事典 現代』792頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』663頁。
- ^ a b c d e 『代議士詳覧 大正13年5月当選』196-197頁。
- ^ a b 『翼賛議員銘鑑』429頁。
- ^ a b 『大衆人事録 第12版 東京篇』685頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』2頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』2頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』3頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第17回』2頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第18回』2頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』3頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』2頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』169頁。
参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第17回』衆議院事務局、1930年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第18回』衆議院事務局、1932年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
- 広幡明男『代議士詳覧 大正13年5月当選』泰山堂、1924年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』1990年。