全世界空手道選手権大会

全世界空手道選手権大会(ぜんせかいからてどうせんしゅけんたいかい、World Open Karate Championship)は、国際空手道連盟 極真会館が主催し、ワールドゲームズの中間年に開催される極真空手の無差別級の大会である。正式名称はオープントーナメント全世界空手道選手権大会とオープン参加を謳っている。

第1回は1975年11月に東京都体育館(旧)で開催された。当初は同年3月に日本武道館で開催予定だった。1979年から87年まで武道館で開催。91年の第5回大会以降は東京体育館で行われる。ただし2019年のみ武蔵野の森総合スポーツプラザで開催。

歴代入賞者

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男子

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1995年(第6回)以降は極真会館松井派のみ
開催日付 優勝 準優勝 3位 4位
1 1975年11月1日 - 2日 佐藤勝昭 盧山初雄 二宮城光 大石代悟
2 1979年11月23日 - 25日 中村誠 三瓶啓二 ウィリー・ウィリアムス 東孝
3 1984年1月20日 - 22日 中村誠(2) 三瓶啓二 松井章圭 アデミール・ダ・コスタ
4 1987年11月6日 - 8日 松井章圭 アンディ・フグ 増田章 マイケル・トンプソン
5 1991年11月2日 - 4日 緑健児 増田章 黒澤浩樹 ジャン・リビエール[1][注釈 1]
6 1995年11月3日 - 5日 八巻建志 数見肇 フランシスコ・フィリォ ギャリー・オニール
7 1999年11月5日 - 7日 フランシスコ・フィリォ 数見肇 アレクサンダー・ピッチュクノヴ グラウベ・フェイトーザ
8 2003年11月1日 - 3日 木山仁 セルゲイ・プレカノフ エヴェルトン・テイシェイラ グラウベ・フェイトーザ
9 2007年11月16日 - 18日 エヴェルトン・テイシェイラ ヤン・ソウクップ アルトゥール・ホヴァニシアン ダルメン・サドヴォカソフ
10 2011年11月4日 - 6日 タリエル・ニコラシビリ エヴェルトン・テイシェイラ ゴデルジ・カパナーゼ 赤石誠
11 2015年11月20日 - 22日 ザハリ・ダミヤノフ ジマ・ベルコジャ ダルメン・サドヴォカソフ キリル・コチュネフ
12 2019年11月22日 - 24日 上田幹雄 アレクサンダー・イエロメンコ アンドレイ・ルジン 高橋佑汰
13 2023年11月 アレクサンダー・イエロメンコ 西村界人 ルジン・アンドレイ トゥセウ・アントニオ

女子

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1995年(第6回)以降は極真会館松井派のみ
開催日付 優勝 準優勝 3位 4位
13 2023年11月 佐藤七海  鵜沢菜南  ザベリナ・エリザベータ コズロワ・エカテリーナ

注釈

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  1. ^ 1971年7月2日生まれ。カナダモントリオール出身。1990年1991年カナダ優勝。この時点でキャリア5年だが、同年の第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会のカナダ代表として出場。身長188センチメートル、体重128キログラムの巨漢でありながら、軽快なフットワークとサウスポーからの突き・上中下段回し蹴り一本勝ちを奪い、勝ち上がっていった。特に岩崎達也との対戦では、岩崎の出した右上段後ろ回し蹴りに対するカウンターで左上段後ろ回し蹴りを出し、一本勝ちを奪った。その瞬間は会場が一瞬シーンとなり、大歓声が沸くほどの見事な勝利だった。準決勝では増田章と対戦。増田の左上段回し蹴りや右後ろ回し蹴りを顔面にヒットされたり、右中段回し蹴りで脇腹に攻撃を受け、正拳突きみぞおちに決められ、下を向いて動きが止まるなど自分のペースで試合できなかったが、延長2回まで粘り、惜敗した。3位決定戦では黒澤浩樹に破れ、4位入賞を果たした。その後、1992年米国国際スーパーヘビー級優勝・1994年米国国際優勝の成績を収めた。分裂騒動が起きた時には、政治的問題に巻き込まないよう、極真会館を脱会する。その後、キックボクシングに転向し、国際大山空手道連盟に所属し、バーリトゥードK-1などにも参戦した。

脚注

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  1. ^ 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年(平成9年)、164-165頁。

関連項目

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