光森徳治
光森 徳治(みつもり とくじ、安政3年8月23日[1](1856年9月21日) - 昭和8年(1933年)3月20日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
編集土佐国土佐郡潮江村(現在の高知県高知市)に光森儀内の長男として生まれる。司法省法学校に学んで弁護士となり、高知市に事務所を開いた[3]。1891年(明治24年)、高知市会議員に選ばれ、後に副議長を務めた[3]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 板垣会『憲政と土佐』板垣会、1941年。