倉田信太郎
倉田 信太郎(くらた のぶたろう、1886年(明治19年)3月3日[1] - 1938年(昭和13年)3月27日[2])は、日本の商人(履物商)[3][4]、実業家。広島瓦斯電軌社長[3][5]。倉田商事代表社員[5]。昭和証券、防石鉄道各取締役[4]。
人物
編集広島県・倉田幾蔵の長男[3]。広島一中卒業[5]。履物商を営み、傍ら会社重役であった[4]。広島瓦斯電軌専務取締役、同副社長を経て社長[5]。また広島県多額納税者であり、山陽燐寸、芸備銀行、広島興業、日本紡織会社等の重役に挙げられた[4]。住所は広島市大手町[3][5]、同市堺町[6][7]。
家族・親族
編集- 倉田家
脚注
編集- ^ 『広島県誌』自治調査会、1932年、p.635。
- ^ 「倉田信太郎氏」『朝日新聞』1938年3月28日、11面。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』広島11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第11版 上』ク69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『広島県紳士録 昭和8年版』52 - 53頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』く48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 広島県62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ 『官報』第2886号、1936年8月14日。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。