西志和村
日本の広島県賀茂郡にあった村
西志和村[1](にししわむら)は、広島県賀茂郡にあった村である[2]。
にししわむら 西志和村 | |
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廃止日 | 1955年8月1日 |
廃止理由 |
合併 志和堀村、東志和村、西志和村 → 志和町 |
現在の自治体 | 東広島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 賀茂郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
西志和村役場 | |
所在地 | 広島県賀茂郡西志和村 |
座標 | 北緯34度29分33秒 東経132度39分04秒 / 北緯34.4925度 東経132.651度座標: 北緯34度29分33秒 東経132度39分04秒 / 北緯34.4925度 東経132.651度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集東は本郡東志和村、西は安佐郡狩小川村に連り、南は安芸郡上瀬野村、北は高田郡三田村に接し、東南は瀬野川を以て本郡川上村と境し、東北は同郡志和堀村、西南は安芸郡下瀬野村と隣する[3]。『和名抄』、賀茂郡志芳郷の西部に当たる[2]。
沿革
編集行政
編集村長
編集助役
編集収入役
編集- 藤野見一[1]
人口
編集1912年末の戸数・人口は、910・5657[6]。1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数820、人口3850[1]。
経済
編集産業
編集農産、工産、林産、畜産あり[2]。1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、蚕業276412円、畜産12111円、林産42480円、水産3410円、鉱産125円、その他159421円[1]。
- 農業
村民のほとんどは農業を営んでいる[3]。『大日本篤農家名鑑』によれば、西志和村の篤農家は矢野、土井、近藤、植木、池田、遠田、山中姓の人物がいた[7]。
地域
編集医療
編集『大日本医師名簿』によれば、西志和村の医師は石津静衛(内科医)[8]、大井俵(全科医)[8]、高橋幸、坪井義晴などがいた[9]。
教育
編集出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g 『市町村治績録 改訂第2版』広島県47 - 48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月22日閲覧。
- ^ a b c 『日本地名大辞典 第5巻』4573頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『西志和村誌』口絵、1、7-10、31、156-186頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月2日閲覧。
- ^ a b c d e f 『広島県紳士名鑑』賀茂郡之部23、47、57、77、85、86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月11日閲覧。
- ^ 『帝国名望家大全』306頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月22日閲覧。
- ^ 『賀茂郡統計要覧』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月2日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月2日閲覧。
- ^ a b 『広島県紳士録 昭和8年版』205、208頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月3日閲覧。
- ^ 『大日本医師名簿』362頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月17日閲覧。
- ^ 『総選挙大観 昭和12年』114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月3日閲覧。
- ^ a b c 『翼賛議員銘鑑』144頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月2日閲覧。
- ^ 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』283-284頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月2日閲覧。
参考文献
編集- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『賀茂郡統計要覧』広島県賀茂郡、1913年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 『西志和村誌』広島県賀茂郡西志和村、1924年。
- 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 朝日新聞社編『総選挙大観 昭和12年』朝日新聞社、1937年。
- 日本書房編『日本地名大辞典 第5巻』日本書房、1937-1938年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。