倉川茂行(くらかわ しげゆき、1952年 - 1988年10月29日)は日本の大蔵官僚。
東京都出身。東京都立立川高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[1]。1975年 大蔵省入省(主計局総務課)。立川高校時代から大蔵省入省を目指していた[2]。
大阪国税局や大臣官房調査企画課調査第一係長の後[3]、1980年7月 鶴岡税務署長。1985年6月 主計局主計官補佐(厚生第三係主査)。中島義雄主計官に仕えていた[4]。1988年7月 主計局主計官補佐(通商産業第一、二係主査)。1988年10月29日 東京都世田谷区池尻の自宅で急性心不全のため死去[5]。
主計局での勤務が長く、1975年入省では勝栄二郎らと並んで事務次官候補と見られていた。