信州新町美術館(しんしゅうしんまちびじゅつかん)は、長野県長野市信州新町にある公立美術館で、長野市立博物館の分館として位置づけられている[1]。本稿では同じく長野市立博物館の分館であったミュゼ蔵(ミュゼくら[2]、Musee Kura[3])についても記載する。

信州新町美術館
地図
施設情報
事業主体 長野市
開館 1982年10月8日
所在地 381-2404
長野県長野市信州新町上条88-3
位置 北緯36度34分18.68秒 東経138度1分14.51秒 / 北緯36.5718556度 東経138.0206972度 / 36.5718556; 138.0206972座標: 北緯36度34分18.68秒 東経138度1分14.51秒 / 北緯36.5718556度 東経138.0206972度 / 36.5718556; 138.0206972
アクセス 長野駅善光寺口バス乗り場2番から、アルピコ交通(川中島バス)「26新町大原橋線」「新町美術館前」下車、徒歩約1分※ミュゼ蔵は次の停留所の「新町」下車、徒歩約2分
外部リンク 公式サイト
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別館ミュゼ蔵

概要

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二紀会創立委員栗原信が戦後、信州新町を度々訪れ、美術館の建設を提唱したのを受け、1961年に旧信州新町美術館条例を制定、施設のないまま絵画の収集、保存を行い、1968年に信州新町公民館に展示室を設立、1982年に隣接する有島生馬記念館と同時に現在の美術館が開館した。収蔵作品はすべて作家本人や、篤志家からの寄付によるものである。

別館のミュゼ蔵は、街中にある酒蔵を利用し、1階の展示室は貸ギャラリーとなっており、個展やグループでの展示会などを開催し、 2階はJIDAデザインミュージアム(日本インダストリアルデザイナー協会)ほか、企画展を開催していた。しかし、2020年頃から新型コロナウイルス対策のため休館。2021年に一階の部分の廃止が決定[4]2022年3月31日をもって廃止となった[5][6]

主な収蔵作品

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栗原信の水彩画約20点、約3か月水内小学校に逗留し新町の風景画を多数残した横井弘三の絵画約80点、日本水彩画会創立委員の赤城泰舒の水彩画約450点、版画家の小泉癸巳男の版画と版木約100組200点青山杉雨の書画多数など、水内ダムの風景を愛した作家達および篤志家からの寄贈作品の他、地元の篤志家の寄付による円山応挙頼山陽佐久間象山向井潤吉、長井雲坪の書画など、約2300点を収蔵・展示し、常設展示や年数回の企画展を実施している。

所在地

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  • 信州新町美術館 長野市信州新町上条88-3
  • 信州新町美術館別館ミュゼ蔵 長野市信州新町新町37-1

アクセス

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  • 車:国道19号沿い 長野市内→約40分、安曇野市→約50分、大町市→約40分
    高速道路:長野自動車道安曇野IC→約50分・上信越自動車道長野IC→約40分
  • 電車:最寄り駅はJR東日本長野駅
  • バス:長野駅善光寺口バス乗り場2番、アルピコ交通「26 新町大原橋線」→約40分→「新町美術館前」下車→徒歩約1分
    ミュゼ蔵は「新町美術館前」の次の「新町」下車→徒歩約2分

脚注

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  1. ^ 長野市立博物館条例
  2. ^ ミュゼ蔵”. じゃらんnet. リクルート. 2024年1月17日閲覧。
  3. ^ JIDAデザインミュージアム1号館/信州新町”. 日本インダストリアルデザイナー協会. 2024年1月17日閲覧。
  4. ^ 「「ミュゼ蔵」廃止 長野市教委、承認 信州新町 本年度末で」『信濃毎日新聞』2021年9月2日、朝刊23ページ 北信1面 6版。
  5. ^ 「住民活動の発表に役立てて 長野市信州新町支所、展示スペース整備 31日閉館の「ミュゼ蔵」代替場所、利用者に好評」『信濃毎日新聞』2022年3月19日、朝刊26ページ 北信2面 6版。
  6. ^ 教育委員会 博物館. “長野市立博物館分館 ミュゼ蔵の廃止について”. 令和3年9月1日 部長会議資料. 長野市. 2023年7月21日閲覧。

参考文献

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  • 『信州美術館と作家たち』 美術年鑑社 1998年
  • 『信州美術館散歩』 信濃毎日新聞社出版局 2002年
  • 『長野県ミュージアムガイド』 長野県博物館協議会 2017年

関連項目

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外部リンク

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