佐藤 伊知子(さとう いちこ、1965年3月11日 - )は、日本バレーボール指導者、元選手。東北福祉大学総合福祉学部通信教育部准教授日本バレーボール協会女子強化委員。

佐藤 伊知子
Ichiko Sato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-03-11) 1965年3月11日(59歳)
出身地 日本の旗 宮城県仙台市
ラテン文字 Ichiko Sato
身長 169cm
体重 68kg
血液型 AB型
選手情報
ポジション レフト/ライト
指高 211cm
スパイク 303cm
ブロック 291cm
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来歴

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宮城県仙台市出身。アニメ「アタックNo.1」の影響で小学校5年生からバレーボールを始め、仙台市立三条中学校から聖和学園吉田高校に進み、高校時代は3年時に国体に出場した。

東北福祉大学社会福祉学部(現・総合福祉学部)福祉心理学科に進学し、大学4年次の1985年にはユニバーシアード代表に招集され、神戸ユニバーシアードに出場して日本の優勝に貢献する。それが評価されて同年に全日本代表に初選出され[1]ワールドカップで代表デビューを果たした。

1986年日本電気(現・NEC)入社。NECではリーグ初優勝に貢献し、後に主将としてチームをまとめあげた。

全日本ではセッターの中田久美と共にチームのまとめ役となり、大林素子ら若手選手を牽引した。オリンピックには1988年ソウル1992年バルセロナと2大会に出場。バルセロナ大会では主将を務めた。

1990年10月31日一枚の写真フジテレビ)に出演。

1992-93年シーズンの日本リーグを最後に現役を引退し、NECでコーチとして活躍したが、のち退社して帰郷、母校に再就職した[2]。女子バレーボール部監督も務め、現在は部長[3]

2005年日本バレーボール協会女子強化委員に就任。テレビの大会中継では解説者を務めることがある。

2024年、リガーレ仙台のチームアドバイザーに就任した[4]

球歴

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  • 全日本代表 - 1985-1992年
  • 全日本代表としての国際大会出場歴
    • オリンピック:1988年、1992年
    • 世界選手権:1986年、1990年
    • ワールドカップ:1985年、1989年、1991年

受賞歴

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  • 1987年 - 第21回日本リーグ 新人賞、ベスト6
  • 1990年 - 第24回日本リーグ ベスト6

所属チーム

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脚注

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  1. ^ 女子選手は大半が高校卒業後、社会人チームに入っているため、数少ない大学生全日本代表選手となった。
  2. ^ <リオ五輪>バレー佐藤 野性的な勘すごい - 河北新報オンラインニュース、2016年6月21日
  3. ^ 女子バレーボール部”. 東北福祉大学. 2024年6月28日閲覧。
  4. ^ リガーレ仙台 2024-25シーズン 新体制のお知らせ | 【リガーレ仙台】公式ホームページ”. ligare-sendai.com. 2024年7月3日閲覧。

外部リンク

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