佐保美代子
佐保 美代子(さほ みよこ、本名: 門屋 定子、旧姓: 矢野[1]、 1913年7月15日[2] - 1954年9月26日)は、兵庫県神戸市出身[3]の元宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)男役。月組副組長および月組組長を務め、退団後はメイクアップ・アーティストとして活動した。愛称はべーちゃん、ヤノちゃん。
さほ みよこ 佐保 美代子 | |
---|---|
本名 | 門屋 定子 |
生年月日 | 1913年7月15日 |
没年月日 | 1954年9月26日(41歳没) |
出生地 | 兵庫県神戸市 |
死没地 | 津軽海峡 |
職業 | 舞台俳優 |
ジャンル | 舞台(宝塚歌劇) |
活動期間 | 1927年 - 1944年 |
活動内容 |
宝塚歌劇団公演 月組副組長および月組組長 |
所属劇団 | 宝塚歌劇団 |
来歴・人物
編集1927年、大開尋常第一小学校(現・神戸市立兵庫大開小学校)卒業後[4]に17期生として、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。当時は「入学=入団」で学校と劇団は一体であった。
1941年 - 1944年、月組組長。
1944年、宝塚歌劇団を退団。
退団後は結婚して、中国に渡る。引揚者となって上海から日本に引き揚げてきた[5]後に、宝塚歌劇団の下級生・社敬子の紹介で、マックスファクターのメイクアップ・アーティストになる。
1954年9月26日、青函連絡船の洞爺丸事故で遭難し、死去[6]。41歳没。
2014年、宝塚歌劇団100周年記念で創立された宝塚歌劇の殿堂の最初の100名のひとりとして殿堂入り[7][8]。創設当時殿堂入りしたタカラジェンヌの中で、佐保は最も若くして没した人物だった[9]。その後、2019年に広島市への原子爆弾投下により他界した園井恵子(32歳没)が殿堂入りし、現在は2番目になっている。
宝塚時代の主な舞台出演
編集- 『サーカス』(雪組)(1929年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『一九三〇年型』(花組)(1930年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『海』(雪組)(1930年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『裸山の一夜』『セニョリータ』(雪組)(1931年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『ローズ・パリ』(雪組)(1931年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『レッド・サークル』(花組)(1931年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『ホテルマゼスチック』(花組)(1932年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『七日公爵』(月組)(1935年9月25日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『火坑』『になひ文』『裸山の一夜』(月組)(1936年2月1日 - 2月29日、宝塚大劇場)
- 『玉蟲祈願』『気まぐれジュリア』(月組)(1936年3月10日 - 3月25日、中劇場)
- 『小野 道風』(月組)(1936年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『二人ホフマン』『都車』(月組)(1936年7月10日 - 7月26日、中劇場)
- 『ゐねむり寺』『女車引』(月組)(1936年9月26日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『竹取後日日記』『黎明の歌』(月組)(1937年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『信長記』(雪組)(1938年1月1日 - 1月10日、中劇場)
- 『玉藻前』『春が来た』(雪組)(1938年3月10日 - 3月21日、中劇場)
- 『武器なき勇士』『楽しき繪本』(雪組)(1938年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『楽しき唄』『夏のをどり』(雪組)(1938年7月10日 - 7月24日、中劇場)
- 『当世嫁えらび』『曠野の花』(雪組)(1938年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『伯林-羅馬』『マーチ・オン・タイム』(月組)(1938年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『モロッコの豹』『宝塚花物語』(月組)(1939年2月26日 - 3月25日、宝塚大劇場)
- 『朝の歌』(月組)(1939年8月26日 - 9月24日、宝塚大劇場)
- 『白雪姫』(月組)(1940年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場)
- 『白鳥の死』(月組)(1940年3月26日 - 4月24日、宝塚大劇場)
- 『思ひ出の流れ』『夏のをどり (花と稲妻)』(月組)(1940年6月26日 - 7月24日、宝塚大劇場)
- 『航空日本』(月組)(1940年9月26日 - 10月24日、宝塚大劇場)
- 『夢見曾我』(月組)(1941年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場)
- 『正行出陣』『小夜ふく春風』(月組)(1941年4月26日 - 5月25日、宝塚大劇場)
- 『黒百合』(月組)(1941年7月26日 - 8月24日、宝塚大劇場)
- 『モンゴール』(月組)(1941年9月26日 - 10月24日、宝塚大劇場)
- 『空の初旅』『東へ帰る』(月組)(1942年2月26日 - 3月24日、宝塚大劇場)
- 『眞如王記』『ふるさとの唄』(月組)(1942年5月26日 - 6月24日、宝塚大劇場)
- 『剣と友情』『妙音あさくさ祭』(月組)(1942年8月26日 - 9月24日、宝塚大劇場)
- 『悠久日本』(月組)(1943年1月26日 - 2月24日、宝塚大劇場)
- 『その日の布哇』『太刀盗人』『唯一の祖國』(月組)(1943年5月26日 - 6月24日、宝塚大劇場)
- 『東亜の子供達』(月組)(1943年8月26日 - 9月24日、宝塚大劇場)
- 『若人は起きてり』(月組)(1944年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場)
脚注
編集- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1938年12月1日、225号、63頁
- ^ 宝塚歌劇の殿堂 第一会場『殿堂ゾーン』の佐保美代子所縁の展示品から
- ^ 『寳塚』平井房人著、啓方閣、1934年10月5日、102頁
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1931年10月1日、139号、46頁
- ^ 『スタア』、スタア社、1946年5月号
- ^ はこだて観光がいど-洞爺丸台風と被害の内容- 2012年3月1日閲覧。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月25日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ 佐保に次いで早く亡くなっているのは轟夕起子(49歳没)と大浦みずき(53歳没)。
外部リンク
編集- 戦前の宝塚少女歌劇団の写真・続き─くまねこ堂・妻のブログ - 佐保美代子の写真と見られているものが掲載されている。