住石マテリアルズ
日本の東京都港区にある企業
住石マテリアルズ株式会社(すみせきマテリアルズ、英文社名:Sumiseki Materials Co., Ltd.)は、東京都港区に本社を置く日本の株式会社。資産等の管理を主な事業としている[1]。
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
大証1部(廃止) 1503 2008年9月25日上場廃止 |
略称 | 住石HD |
本店所在地 |
日本 〒105-0004 東京都港区西新橋1丁目7番14号 (京阪神虎ノ門ビル) |
設立 |
1927年(昭和2年) 6月30日 (創業:1893年(明治26年)) |
業種 | 鉱業 |
法人番号 | 6010401058275 |
事業内容 | 新素材事業、採石事業、建機材事業など |
代表者 | 代表取締役社長 長崎駒樹 |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 54億26百万円(2012年3月31日現在) |
営業利益 | △2億51百万円(2012年3月31日現在) |
純利益 | △5億百万円(2012年3月31日現在) |
純資産 | 71億20百万円(2012年3月31日現在) |
総資産 | 148億42百万円(2012年3月31日現在) |
従業員数 | 37名 |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 住石ホールディングス株式会社 100% |
外部リンク | http://www.sumiseki-materials.co.jp/ |
概要
編集かつては石炭の仕入・販売も行っていたが、2009年10月に住石貿易株式会社へ事業譲渡した[2]。現在の主な収益源は豪Wambo社からの配当金。[3]。
旧社名は住友石炭鉱業であり、住友グループに属していた。2008年10月、単独株式移転により持株会社制に移行。それに先立ち、同年9月25日で東京・大阪両証券取引所での上場を廃止し[4][5]、現社名に変更した[6]。
沿革
編集- 1893年(明治26年)11月 - 九州に庄司炭砿(福岡県飯塚市)を入手、石炭事業に着手。
- 1894年(明治27年)4月 - 九州の忠隈炭砿(福岡県飯塚市)を入手、若松炭業所(福岡県北九州市若松区)設置。
- 1924年(大正13年)10月 - 北海道の坂炭砿株式会社(歌志内市)の経営に参加。東京証券取引所、大阪証券取引所に上場(1503)。
- 1925年(大正14年)10月 - 坂炭砿を住友坂炭砿株式会社に商号変更。
- 1927年(昭和2年)6月 - 住友別子鉱山株式会社を設立(当社の設立登記日)。
- 1928年(昭和3年)6月 - 住友九州炭砿株式会社を設立。北海道三笠市の奔別炭鉱を入手。
- 1929年(昭和4年)8月5日 - 上歌志内鉱でガス爆発事故。70人死亡[7]。
- 1930年(昭和5年) 4月 - 住友坂炭砿と住友九州炭砿を合併、住友炭砿株式会社を設立。
- 1937年(昭和12年)6月 - 住友炭砿と住友別子鉱山を合併、住友鉱業株式会社を設立。
- 1938年(昭和13年) - 赤平炭砿(北海道赤平市)を開坑。
- 1946年(昭和21年) 1月 - 商号を井華鉱業株式会社に変更。
- 1949年(昭和24年)10月 - 東京・大阪両証券取引所に株式を上場。
- 1950年(昭和25年)
- 2月 - 本社を大阪市から東京都に移転。
- 3月 - 過度経済力集中排除法により、金属部門(現・住友金属鉱山)、土木建築部門(現・三井住友建設)、調度部門(新居浜大丸・2001年閉店)を分離、石炭専業の会社となる。
- 1952年(昭和27年)7月 - 商号を住友石炭鉱業株式会社に変更。
- 1963年(昭和38年)
- 1月23日 - 住友赤平炭鉱・奔別炭鉱の配給所計14店舗を日本商事(後のジョイ (スーパーマーケット))に移管。
- 11月 - 奈井江炭鉱(1972年閉山、現在の新奈井江カントリークラブ)を分離して大日興産を設立。
- 1971年(昭和46年)10月 - 奔別砿・歌志内砿閉山、赤平砿一山体制となる。
- 1974年(昭和49年)10月 - 扶桑建設(札幌市)と住石工業(東京都)を合併し、住石扶桑工業(現・スミセキ・コンテック 2001年に社名変更)を設立[8]。
- 1979年(昭和54年) - 海外炭の販売開始。
- 10月 - 赤平炭砿を分離して住友石炭赤平炭砿株式会社を設立。
- 1983年(昭和58年)5月 - 赤平技術サービス株式会社(現・株式会社イズミテック)を設立。
- 1987年(昭和62年)- 人工ダイヤモンド合成実験開始。
- 1988年(昭和63年)10月 - 豪州の炭鉱会社Wambo Mining Corporation Pty.Ltd.に資本参加。
- 1989年(平成元年)- 東京住宅事業部発足。
- 1991年(平成3年)- 株式会社イズミダイヤ設立。
- 1994年(平成6年)
- 2月 - 赤平炭砿閉山。
- 3月 - 住友石炭赤平炭砿株式会社解散。
- 9月 - 赤平市にイズミプレカット株式会社(平成11年、同じく住友石炭鉱業子会社の株式会社ニッショウと合併)を設立。[9]
- 1995年(平成7年)9月 - 日本商事株式会社を設立。
- 1998年(平成10年)4月 - 泉山興業株式会社を買収。
- 2001年(平成13年)1月 - 豪州の炭鉱会社Wambo Mining Corporation Pty.Ltd.を売却。
- 2000年(平成12年)
- 新素材事業部発足。
- 青木鉱業より札幌工場を買収し採石事業部札幌事業所とする[10]。
- 2002年(平成14年)- 会社分割を行い、住宅販売事業、不動産賃貸・管理事業、ゴルフ事業及びスーパーマーケット事業部門(ジョイ)の営業を新設の株式会社エスシーエム興産(2005年、民事再生法申請)に承継。
- 2004年(平成16年)- エスシーエム興産を売却し上記事業から撤退。ニッショウ及びスミセキ・コンテックをMBOで売却。
- 2005年(平成17年)- SPS事業を分社化しSPSシンテックス株式会社を設立[11]。株式の60%を双日が取得。
- 2006年(平成18年)12月 - 住石岩泉砕石株式会社を設立。
- 2008年(平成20年)
- 9月 - 株式上場廃止。
- 10月 - 単独株式移転により、住石ホールディングス株式会社を設立し、東京証券取引所に新規上場。また同社の完全子会社となり、社名を住石マテリアルズ株式会社に変更。
- 2009年(平成21年)
- 7月 - 住石岩泉砕石株式会社を解散し、岩泉での採石事業から撤退[12]。
- 10月 - 石炭事業部門を住石貿易株式会社へ譲渡。
- 2010年(平成22年) 6月 - 日本商事を合併し、同社が営む建材・機材事業を承継。
- 2016年(平成28年)4月 - 採石事業部山陽事業所を分社化し住石山陽採石株式会社を設立[13]。
- 2020年(令和2年)12月20日 - 本社を田中田村町ビルから移転[14]。
系列会社
編集- 住石貿易株式会社
- 泉山興業株式会社
脚注
編集- ^ 住石グループ
- ^ 子会社設立および子会社間の事業譲渡に関するお知らせ (PDF) - 住石ホールディングス(株) ニュースリリース 2009年8月20日
- ^ 2023年3月期決算公告 (PDF) - 住石マテリアルズ
- ^ 住友石炭鉱、10月から持株会社制に移行 - ロイター 2008年5月30日
- ^ 単独株式移転による持株会社設立に関するお知らせ (PDF) - 住友石炭鉱業株式会社ニュースリリース(株主プロ)2008年5月30日
- ^ 商号変更に関するお知らせ (PDF) - 住友石炭鉱業株式会社ニュースリリース(株主プロ)2008年8月1日
- ^ 遭難七十人の法要、涙の遺族たち『北海タイムス』昭和4年8月13日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p600 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ スミセキ・コンテック会社概要
- ^ ニッショウ沿革
- ^ 青木鉱業沿革
- ^ 富士電波工機SPS機器部沿革
- ^ 当社の子会社である住石マテリアルズ株式会社の子会社解散に関するお知らせ- 住石ホールディングス(株) ニュースリリース (PDF)
- ^ 連結子会社の異動(株式譲渡)に関するお知らせ- 住石ホールディングス(株) ニュースリリース (PDF)
- ^ ニュースリリース:本社を移転いたしました(2020年12月21日)