伏見宮邦永親王
江戸時代中期の皇族。伏見宮14代。伏見宮貞致親王の三男。中務卿
伏見宮邦永親王(ふしみのみや くにながしんのう)は、江戸時代中期の皇族。世襲親王家の伏見宮第14代当主。伏見宮貞致親王の第2王子。
伏見宮邦永親王 | |
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伏見宮 | |
続柄 | |
称号 | 得解脱院 |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
延宝4年3月28日(1676年5月10日) |
死去 |
享保11年10月21日(1726年11月14日) |
配偶者 | 福子内親王(霊元天皇の第5皇女) |
子女 |
貞建親王 道承入道親王 尊祐法親王 光子女王 輔子女王 培子女王 |
父親 | 伏見宮貞致親王 |
母親 | 家女房 |
役職 | 中務卿 |
サイン |
天和3年(1683年)3月12日、霊元天皇の猶子となる。元禄8年(1695年)12月14日に親王宣下。同23日に元服。加冠は近衛基熙。同日中務卿に任ぜられた。宝永6年(1709年)4月21日に二品に叙せられ、享保11年(1726年)10月11日に一品に叙せられ、牛車宣下を受けた。
系譜
編集- 子女
参考文献
編集外部リンク
編集- 『親王・諸王略傳』邦[邦永] - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)