伊達宗規 (宮床伊達家)
宮床伊達家当主
伊達 宗規(だて むねのり)は、江戸時代後期の陸奥国仙台藩一門第七席・宮床伊達家8代当主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永8年3月11日(1779年4月27日) |
死没 | 天保15年7月19日(1844年9月1日) |
改名 | 大四郎(幼名)、宗規 |
別名 | 隼人、鶴翁 |
戒名 | 俊良院仙山鶴翁 |
墓所 | 宮城県黒川郡大和町の覚照寺 |
主君 | 伊達周宗→斉宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 宮床伊達家 |
父母 | 伊達村烈、伊達村通娘 |
兄弟 | 村義、宗規 |
妻 | 石川村文娘 |
子 | 宗賢 |
生涯
編集安永8年(1779年)3月11日、7代当主・伊達村烈の次男として宮床館にて誕生。幼名は大四郎。
享和元年(1801年)8月28日、兄・村義の死去により家督相続し宮床邑主となる。仙台藩主・伊達周宗から偏諱を賜って宗規と名乗る[1]。文化10年(1813年)、宮床の所領において、商売を行う下町がなく、日用品の購買に不自由するとの理由で、荒物小物1戸50集、八百屋1戸、酒1戸の商売の許可を本藩に求め許可される。文政元年(1818年)11月28日、隠居して家督を嫡男・宗賢に譲る。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 『宮城県黒川郡誌』
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