石川村文
石川 村文(いしかわ むらふみ)は、江戸時代の伊達氏家臣。仙台藩の家格は一門筆頭。角田石川家第9代当主。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛延13年6月8日(1750年7月20日) |
死没 | 寛政12年7月28日(1800年9月16日) |
別名 | 小膳、修理 |
墓所 | 長泉寺(宮城県角田市) |
主君 | 伊達重村→斉村→周宗 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 角田石川家 |
父母 | 父:石川村俊、母:理代姫(伊達村緝の娘) |
兄弟 | 源太郎、俊明、勇五郎、村文、純晴、通忠、伊達村常 |
妻 | 正室:喜代姫(伊達村通の娘) |
子 | 村任、文好、任敏、任亮、尚峰 |
生涯
編集寛延3年(1750年)6月8日、角田石川家第8代当主・石川村俊の四男として生まれる。幼名は小膳。宝暦8年(1758年)兄源太郎が早世したため、嗣子と定められる。
宝暦10年(1760年)10月15日、元服し、藩主伊達重村の偏諱を受け、修理村文と名乗る。後に大和、左衛門と名乗った。宝暦12年(1762年)5月、父村俊の死去により、13歳で家督を相続し角田邑主となる。年齢が年齢のため、本藩より家政を監督する目付が付けられた。
寛政9年(1797年)遊興に耽り、財政が逼迫したため、不行跡を理由に隠居させられることとなり、家督を嫡男村任が相続。村文の実弟で、涌谷伊達氏当主伊達村常が家政を後見することとなる。
参考文献
編集- 『源流無尽』
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