伊達宗信 (岩ヶ崎伊達家)
伊達政宗の六男、仙台藩士、岩ヶ崎伊達家2代当主
伊達 宗信(だて むねのぶ)は、江戸時代前期の陸奥国仙台藩一門・岩ヶ崎伊達家2代当主。通称は越前守。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 慶長8年(1603年) |
死没 | 寛永4年5月26日(1627年7月9日)[1] |
改名 | 吉松丸(幼名)、宗信 |
別名 | 越前守、筑前守(通称) |
墓所 | 岩ヶ崎の黄金寺 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏(岩ヶ崎伊達家) |
父母 |
伊達政宗、於山方 伊達宗綱 |
兄弟 |
秀宗、五郎八姫、忠宗、宗清、津多、 亘理宗根、宗泰、宗綱、宗信、宗高、 牟宇姫、竹松丸、宗実、岑姫、宗勝、 千菊姫 |
生涯
編集慶長8年(1603年)、仙台藩初代藩主・伊達政宗の六男(第7子)として伊達家江戸屋敷にて誕生。母は側室の於山方(柴田宗義の長女)。幼名は吉松丸。
元和4年(1618年)5月、岩ヶ崎伊達家当主で同年生まれの異母兄・宗綱が15歳で早世したため、その養子となって岩ヶ崎伊達家を継承する。後見人は宗綱に続き茂庭綱元が務めた。寛永元年(1624年)7月、筑前宗信と改める。
寛永4年(1627年)、没す。享年24。墓所は岩ヶ崎の黄金寺。岩ヶ崎伊達家は後嗣なく断絶となる。
脚注
編集- ^ 伊達治家記録では8月8日と記載。
参考文献
編集
|
|
|