伊藤竹之助

日本の実業家

伊藤 竹之助(いとう たけのすけ、1883年明治16年)7月16日 - 1948年昭和23年)1月22日[1])は、日本実業家。元伊藤忠商事社長。

来歴・人物

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生い立ち

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父は福井県熊川村の初代村長逸見勘兵衛(へんみ かんべえ)[2][3]

逸見竹之助は、福井県熊川村で生まれ、滋賀県商業学校を卒業し、伊藤本店に番頭候補として入店。二代・伊藤忠兵衛の1年先輩の竹之助は、後に初代伊藤忠兵衛の長女トキの娘フキ(二代忠兵衛の姪)と24歳で結婚し、伊藤姓を名乗る[4]。伊藤竹之助はよきパートナーとして生涯二代忠兵衛を支える。

初代・伊藤忠兵衛の娘婿伊藤忠次郎を初代とする伊藤忠次郎家2代目。

若狭出身の伊藤忠関係者

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家族 親族

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  • 妻:ふき(父は初代伊藤忠兵衛の長女ときの娘婿伊藤忠次郎 母とき)
  • 義弟:伊藤孝太良(阪神大水害で大同貿易[5]社長で伊藤忠商事監査の伊藤孝太良家族6人がなくなる。長男一二と次男八郎は無事だった)[6][7]
  • 義妹:篤子(古川義三妻)
  • 義妹:志津(福本養之助妻)

脚注

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  1. ^ 『ふくい百年の人脈』(実業之福井社、1968年)p.273
  2. ^ 旧逸見勘兵衛家 | 観光スポット | 福井県観光情報ホームページ ふくいドットコム
  3. ^ 旧逸見勘兵衛家住宅 | 日本遺産 御食国若狭と鯖街道 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群
  4. ^ 「売り」果たせず、最大の痛恨事 伊藤竹之助氏  :日本経済新聞
  5. ^ 1920年(大正9年)9月設立され、神戸支店の機械部、横浜、マニラ、ロンドン、ニューヨーク各出張所の営業をそれぞれ伊藤忠本体から切り離し移管※峠越えの道|伊藤忠商事株式会社
  6. ^ 阪神大水害から1年、8人がなくなった阪急電鉄神戸線の住吉川橋梁近くの自宅跡で黙祷する遺族。-阪神大水害80年【4】救援から復興へ 1938阪神大水害:朝日新聞デジタル
  7. ^ 伊藤忠商事(株)『伊藤忠商事100年』(1969.10) | 渋沢社史データベース

外部リンク

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先代
伊藤忠兵衛
伊藤忠商事社長→三興社長
1939年 - 1944年
次代
伊藤忠兵衛