伊東祐隆
伊東 祐隆(いとう すけたか)は、江戸時代中期の大名。日向国飫肥藩の第8代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳6年1月13日(1716年2月6日)? |
死没 | 宝暦7年8月18日(1757年9月30日) |
戒名 | 節山玄義慈広院 |
官位 | 従五位下修理大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 日向飫肥藩主 |
氏族 | 日向伊東氏 |
父母 | 父:伊東祐永、母:井上氏 |
兄弟 | 祐隆、祐房、祐順、祐之、狩野、伊東祐恵室ら |
妻 | 正室:愛宕通晴娘 |
子 | 祐福、祐武、搖泉院 |
略歴
編集第6代藩主・伊東祐永の3男。正徳6年(1716年)正月13日生まれとも、宝永7年(1710年)生まれとも言われている。庶長子のため父・伊東祐永から家督を継げなかったが、延享元年(1744年)に異母弟で7代藩主・祐之が没すると家督を継いだ。
宝暦7年(1757年)8月18日に死去。家督は長男・祐福が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 愛宕通晴の娘
子女