伊東祐福
伊東 祐福(いとう すけよし)は、江戸時代中期の大名。日向国飫肥藩の第9代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文5年12月5日(1741年1月21日)? |
死没 | 天明元年7月20日(1781年9月8日) |
改名 | 虎三郎(幼名)、祐福 |
官位 | 従五位下出雲守、大和守、豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重→家治 |
藩 | 日向飫肥藩主 |
氏族 | 日向伊東氏 |
父母 | 父:伊東祐隆、母:愛宕通晴娘 |
兄弟 | 祐福、祐武、搖泉院 |
妻 | 正室:中川久貞娘・貞 |
子 | 祐鐘、祐甫ら |
略歴
編集第8代藩主・伊東祐隆の長男として日向飫肥にて誕生。元文5年(1740年)12月5日生まれと言われているが、享保20年(1735年)生まれとも言われている。宝暦7年(1757年)、父の死去により家督を継いだ。明和8年(1771年)、仙洞御所の造営を担う。
天明元年(1781年)7月20日、42歳で死去。家督は長男・祐鐘が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 貞 ー 中川久貞の娘
子女