仲田徳三
沖縄県出身の教育者、政治家
仲田 徳三(なかだ[1] / なかた[2] とくぞう、1868年9月20日(尚泰21年8月5日[3])- 1962年(昭和37年)9月17日[1])は、沖縄県出身の教育者、政治家。衆議院議員。
経歴
編集金武間切金武(現国頭郡金武町)で、仲田林之助の長男として生まれる[1][4]。1890年、沖縄県尋常師範学校を卒業し、二年間、国頭郡内の各小学校で教鞭をとった[1][4]。
1892年、県費留学生として東京の大日本水産会附属水産伝習所で学んで、1894年に卒業[1][2][4]。帰郷後、水産事業を起こすが成功せず、一時鹿児島県に居住してまた帰郷し、国頭高等小学校・恩納小学校で教員を務めた[1]。1900年12月、台湾に渡り台湾国語学校で研修を受けた後、1901年5月から台中苗粟学校で教鞭をとった[1][4]。
1903年8月、帰郷して金武間切長(金武村長)に就任し1905年8月まで在任[1][4]。その後上京して、日本大学で一年間、法政経済を学んだ[1][4]。1906年に帰郷し農業を営み、国頭郡組合議員を務めた[1][4]。
1909年、第1回県会議員選挙で当選し、県議に連続三期選出され、県会議長も務めた[1][2]。1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で沖縄県第四区から民友倶楽部(立憲政友会系)所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』下巻、沖縄タイムス社、1983年。
- 楢原友満編『沖縄県人事録』沖縄県人事録編纂所、1916年。