仙禄湖
仙禄湖(せんろくこ[1]、せんろっこ[5])は、長野県佐久市岩村田にある湖。岩村田用水の温水ため池で、建設時の名称は窪田頭温水溜池。「仙禄湖」の命名は佐藤春夫による。
仙禄湖 | |
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所在地 | 長野県佐久市岩村田[1] |
位置 | |
面積 | 0.011 04[2] km2 |
周囲長 | 0.48[3][2] km |
最大水深 | 3.4[2] m |
平均水深 | 2.7[2] m |
貯水量 | 0.000 029 753[2] km3 |
水面の標高 | 740[4] m |
成因 | 人造湖(温水ため池)[3] |
淡水・汽水 | 淡水 |
プロジェクト 地形 |
地理
編集佐久市岩村田住吉町[3]、上信越自動車道・佐久インターチェンジ付近にある人造湖である[1]。標高740メートル[4]、周囲長480メートルの四角形で、当地を流れる用水路・岩村田用水の水を湛える[3]。貯水量は2万9,753立方メートル、面積は1.104ヘクタール(1町1反)[2]。水深は最大3.4メートル、平均2.7メートルで[2]、南側に行くほど深くなる[6]。南東岸の地下を北陸新幹線が通過する[4]。
湖畔には信越放送 (SBC) ラジオ放送中継局のアンテナがそびえ(地上高91メートル、詳細はSBC佐久ラジオ中継局を参照)[7]、さらに周辺は「仙禄湖公園」(佐久市岩村田北1丁目36)として整備されている。公園の面積は5,770平方メートルで、作家の佐藤春夫・五島茂・五島美代子・若山牧水・有島生馬・阿部知二の文学碑を設置。広場やマレットゴルフコースがあり、市民の憩いの場となっている。春は桜が美しい[8]。
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湖畔より平尾山を望む
歴史
編集仙禄湖は、「県営窪田頭温水溜池造成事業」の一環として、1954年(昭和29年)1月から1956年(昭和31年)1月までの工期で建設された人造湖である。事業主体は岩村田土地改良区、事業地域は岩村田(砂田・長土呂)[3]である。
湖を湛える岩村田用水は北佐久郡御代田町鰍沢において千ヶ滝湯川用水(御影用水)から分水するものであり、その水源は浅間山のふもと、標高1,000メートル付近に位置している。当地を流れる主要河川の一つである湯川は、侵食により人里よりも低地を流れているため、千ヶ滝湯川用水のように湯川を水源として利用するためには上流の山腹で取水し、長大な用水路で導く必要があった。こうしたことから、岩村田用水は夏の一番暑い時期でも水温はセ氏16度前後と低温で、農作物の生育・収穫量に悪影響をもたらした[3][9][10]。
1954年1月、長野県は県営窪田頭温水溜池造成事業の一環として、当時の北佐久郡岩村田町に温水ため池の建設を開始。高さ5メートルの土手で囲った池に岩村田用水の水を貯え、水温を上昇(高くてセ氏30度程度)させたのち、毎晩18時から6時までの間に下流へと放流する計画である。水門には丸島式スルースゲートを採用。また、当地は火山灰が堆積してできた土地であったことから、粘土98パーセントにシリカライト2パーセントを添加した二和土(たたき)を土手や底面に用い、漏水防止に万全を期した。池の造成は1955年(昭和30年)に完了し、事業は1956年1月に完成した。昭和30年代にはコイの養殖も行われた[3]。
池の建設に要した費用は総額で2,056万2,000円(当時)。その効果は受益地90町歩(90ヘクタール)の水田において年間で630石、当時の金額換算で522万9,000円の増収と見積もられた。なお、土手の材料となる粘土は現在の佐久市立浅科中学校のある場所から採掘したもので、かつて小高い丘状の畑であった場所は採掘により平坦になり、さらに整地して校庭とした[2]。
その後、1957年(昭和32年)からは千ヶ滝湯川用水の改良が実施され、1971年(昭和46年)3月に完成[3]。1973年(昭和48年)、現在のSBC佐久ラジオ中継局が開設され、湖底にアンテナの接地線が張り巡らされた。接地線を水中に置くのがアンテナの性能を高めるうえで有効との考えからによる[2]。1993年(平成5年)3月には上信越自動車道・佐久インターチェンジが供用開始となり[11]、1995年(平成7年)に仙禄湖公園が整備された[8]。
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建設中(1955年)[12]
命名
編集仙禄湖という名称は、作家・佐藤春夫が命名した[13]。佐藤は1945年(昭和20年)4月、北佐久郡平根村に5年間疎開し、当地の自然を愛したという。湖畔に建つ「佐藤春夫先生詩碑之由来」の碑に「仙禄湖ノ名ノオコリ」が付記されており、その中の「先生ノ言葉」の箇所を引用する[14]。
仙祿ハ淺間ノ麓淺麓ノ字音ヲ移シ仙祿トノ文字ヲ假リ名ヅケタモノデス
すなわち、浅間山の麓、「浅麓」に「仙禄」の漢字を当てたということである。
「仙」の字は当地が中仙道の沿線にあることから、「禄」の字は農地に温水を送ることで石高(収穫量)を増す→「禄」を増すことからそれぞれ選ばれた。佐藤は「せんろくこ」の語呂が流麗でない(特に「ろ」の母音 [o] が重い)ことを気にしていたが、その一方で呼び慣れてしまえば名前はどれも同じだとも考えていた[2]。
アクセス
編集脚注
編集- ^ a b c d e f “さわやか信州旅.net 仙禄湖”. 長野県観光機構. 2017年6月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 井出安人「県営窪田頭温水タメ池事業 ―仙禄湖―」『北佐久の農業土木』27 - 32ページ。
- ^ a b c d e f g h 『佐久市志 歴史編(五) 現代』349、355 - 357ページ。
- ^ a b c “仙禄湖”. Mapion電話帳. ONE COMPATH. 2023年6月28日閲覧。
- ^ 『佐久市志 自然編』367ページ。水深データは1986年(昭和61年)10月5日調べ。このときの水深は北側1.4メートル、中央2.3メートル、南側2.8メートルで、水温は表層部がセ氏21度、湖底部は約18度で、3度程度の開きがあった。
- ^ 信越放送 佐久放送局 (案内看板). SBC佐久ラジオ中継局. 2009年4月22日現地確認。
- ^ a b “仙禄湖公園”. 佐久市 (2015年2月2日). 2017年6月25日閲覧。
- ^ 蛭田浩一郎 1933, pp. 8–9.
- ^ 村上成、栗田亘 1969, p. 477.
- ^ 『第一次佐久市総合計画』70ページ。
- ^ a b c 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
- ^ “さわやか信州旅.net 佐藤春夫詩碑”. 長野県観光機構. 2017年6月25日閲覧。
- ^ 楜沢武次 (3 November 1960). 佐藤春夫先生詩碑之由来 附 仙禄湖ノ名ノオコリ (碑文). 仙禄湖.
参考文献
編集- 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 自然編』佐久市志刊行会、1988年。
- 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 歴史編(五) 現代』佐久市志刊行会、2003年。
- 企画部企画課編『第一次佐久市総合計画』佐久市、2007年。
- 「北佐久の農業土木」編集委員会編『北佐久の農業土木』長野県北佐久地方事務所・長野県北佐久土地改良事業研究会、1975年。
- 蛭田浩一郎「信州佐久平に於ける用水の地理学的研究(総説) (1)」『地理学評論』第9巻第3号、日本地理学会、1933年、997 - 1016頁、doi:10.4157/grj.9.997。
- 村上成、栗田亘「温水路の水温調査について 長野県千ヶ滝地区」『農業土木学会誌』第37巻第7号、農業土木学会、1969年 - 1970年、477 - 480頁、doi:10.11408/jjsidre1965.37.7_477。
関連項目
編集外部リンク
編集- 長野県公式観光ウェブサイト さわやか信州旅.net 仙禄湖 - 佐藤春夫詩碑
- 佐久市 仙禄湖公園 - 仙禄湖畔の文学碑 - 文学碑一覧表
- 中島健逸「長野県営窪田頭地区温水溜池漏水防止試験並びに施工について」『土地改良』第6巻第2号、土木雑誌社、1956年、NAID 40018155370。