今川氏兼
南北朝時代から室町時代初期の武将
今川 氏兼(いまがわ うじかね)は、南北朝時代から室町時代初期の武将。源姓蒲原氏の祖となる。
時代 | 南北朝時代 - 室町時代初期 |
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生誕 | 元徳元年(1329年)頃? |
死没 | 応永5年(1398年)頃? |
改名 | 九郎(幼名)→氏兼→直世 |
墓所 | 静岡県静岡市清水区蒲原の龍雲寺 |
官位 | 修理亮、弾正少弼、越後守 |
幕府 | 日向守護 |
主君 | 足利義詮→義満 |
氏族 | 今川氏→源姓蒲原氏 |
父母 | 父:今川範国 |
兄弟 | 範氏、貞世、氏兼、仲秋 |
子 | 直忠、頼春、末兼 |
略歴
編集- 元徳元年(1329年)前後、今川範国の三男として生まれる。
- 建武3年(1336年)、吉良満義から三河須美保政所職をうける。
- 建武5年(1338年)、吉良貞義から三河国幡豆郡吉良西条、今川、一色のうちで、今川常氏と父・範国の旧領を宛行われ、所領とする。
- 貞治3年(1364年)、京都に於いて父・範国の名代として越後守奉書を発するなどの補佐を行う。
- 応安3年(1370年)、管領細川頼之に従い、河内国において戦功があり、将軍足利義満より遠江山梨郷を賜り、越後守護代に補される。
- 兄・貞世が九州探題となり、氏兼も兄に従って九州に赴き、兄を援けて九州南朝方の菊池勢と戦い、応安7年(1374年)京都に帰陣。
- 応永3年(1396年)、直世と改名する。
- 応永5年(1398年)前後、蒲原にて没す。
蒲原氏への名乗りについては、氏兼が九州に赴く際には蒲原氏を名乗っていたという記録(『水江臣記』(みずがえしんき)に係る「多久諸家系図」)もあるが、氏兼の孫の氏頼が永享4年(1432年)将軍足利義教の富士遊覧の際、その警固を務めた功により駿河国蒲原城と蒲原庄を氏頼に賜り、その時に今川氏を改め蒲原氏を名乗ったとも云われており、定かではない。