京都市交通局広軌1形電車
京都市交通局 広軌1形電車(きょうとしこうつうきょく こうき1がたでんしゃ)は、京都市電気軌道事務所が路面電車(京都市電)を開業させた際、製造投入した車両である。総数169両が製造され、一部車両は大連都市交通(今の中華人民共和国大連)・長崎電気軌道に譲渡された。
京都市交通局 広軌1形電車 | |
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29号(梅小路公園) | |
基本情報 | |
運用者 | 京都市交通局 |
製造所 |
天野工場 梅鉢鉄工所 |
製造年 | 1912年 - 1921年 |
製造数 | 169両 |
導入年 | 1912年 |
運用開始 | 1912年 |
運用終了 | 1950年 |
廃車 | 1950年 |
投入先 | 京都市電 |
主要諸元 | |
軌間 | 1435 mm |
電気方式 | 直流600V |
車両定員 | 48名 |
自重 | 9t |
台車 |
21-E 21-EM BL-21-E MG21-EM |
主電動機出力 | 25HP×2 |
制御装置 | 直接 |
制動装置 | 水平片手把手々用 |
車両概要
編集京都市では市電の開業に先駆け、民営の京都電気鉄道(京電)による路面電車路線が1895年(明治28年)より運転開始されていた。これは狭軌(1,067 mm軌間)の路線であったが、1912年に開業した京都市電気軌道事務所の方では標準軌(1,435 mm軌間。当時は1,067 mm軌間を日本標準軌としており、広軌とも呼んだ)を採用した。そのため、京都電気鉄道が京都市に買収された1918年(大正7年)以降、元京都電気鉄道の車両を狭軌1形、京都市電生え抜きの車両を広軌1形と呼ぶようになったとされている。
スタイルは当時の路面電車では標準であったオープンデッキ型で、中央にダブルポールを設けて折り返し地点で回転させるものとなった。 京都電気鉄道のほうでは開業時にシングルポールを採用し、電気は線路を通して変電所に返していたが、水道管の電食が問題になったため、送帰双方の電流とも架線を用いる方式になったとされている。
1912年(明治45年)6月の開業時にまず40両、そして同年中に55両、翌年に72両、1921年(大正10年)に2両を増備した。そのうち2両は貴賓車となっていたが、1923年(大正12年)に普通仕様へ改造した。また、どの時点で改造されたのか等は資料がなく不明だが、初期のオープンデッキ型から 運転台にガラス窓の付いた「ベスチュビュール型」に改造されている。
新車の増備に伴い、1938年(昭和13年)に長崎電気軌道へ80形として5両、大連都市交通(大連市電)へ10両が譲渡され、1940年(昭和15年)から段階的に廃車を開始する。同年中に14両、1946年(昭和21年)に31両、1948年(昭和23年)に42両、1949年(昭和24年)に13両を廃車し、1952年(昭和27年)に最後に残った33両を廃車して全廃となった。
交通局自身は29号を保存し、数度の移設を経て2014年3月8日からは梅小路公園内の「すざくゆめ広場」で静態保存されている[1]。
終戦後の1947年(昭和22年)12月10日から1948年(昭和23年)10月20日までの間、主電動機の故障した1形22両が、600形のトレーラーとなる「親子電車」として運用されている。
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旧烏丸車庫で保存時代の29号車(1982年6月1日撮影)
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29号車のゼネラル・エレクトリック製主幹制御器
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29号車のダブルポール
脚注
編集- ^ 梅小路公園「市電ひろば」がオープン。 - 編集長敬白、2014年3月10日
外部リンク
編集- 市電保存館on WWW - 京都市交通局