京極高供
京極 高供(きょうごく たかとも)は、江戸時代前期の大名。丹後峰山藩2代藩主。官位は従五位下主膳正。
京極高供像(常立寺蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和9年1月24日(1623年2月23日) |
死没 | 延宝2年2月28日(1674年4月4日) |
戒名 | 常立院然誉春山道栄 |
官位 | 従五位下主膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 丹後峰山藩主 |
氏族 | 京極氏 |
父母 | 京極高通、京極高知娘 |
兄弟 |
高供、高昌、高成、溝口宣知正室、 柳生宗冬正室、村上正直室 |
妻 | 松平忠明娘 |
子 | 高明 |
略歴
編集元和9年(1623年)正月24日、初代藩主・京極高通の長男として江戸にて誕生。母は京極高知の娘。
寛文5年(1665年)、父が近江国水口城の在番中に死去したため、その後を受けて在番を務めた。家督は寛文6年(1666年)6月14日に継いでいる。このとき、弟の高昌に武蔵国・近江国内において1000石、高成に500石ほどを分与している。その後も水口在番を務め、延宝2年(1674年)2月28日、江戸で死去した。享年52。
跡を長男・高明が継いだ。法号は常立院然誉春山道栄。