二葉山神社

大分県宇佐市大字下敷田にある神社

二葉山神社(ふたばやまじんじゃ)は、大分県宇佐市大字下敷田に鎮座する神社。第35代横綱双葉山定次四股名の由来となったとされる神社として知られる。なお、市内大字富山に分霊社の同名神社があるため、併せて記述する。

二葉山神社
所在地 大分県宇佐市大字下敷田字西八龍780
位置 北緯33度34分02.4秒 東経131度17分11.9秒 / 北緯33.567333度 東経131.286639度 / 33.567333; 131.286639
主祭神 大己貴命
玉依姫命
別雷神
社格 旧村社
創建 (伝)和銅3年(710年
別名 八大龍王宮
例祭 12月7日
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祭神

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大己貴命玉依姫命とを祀り、後に別雷神を加え、更に明治大正年間合祀された村内小祠の天穂日命菅原神蛭子命応神天皇神功皇后武内大臣崇徳天皇倉稲魂命火産霊命を併せ祀る。

由緒

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和銅3年(710年)の創祀という[1]天慶元年(938年)に神託により別雷神を加え祀ったと伝えられ、また上敷田(現宇佐市上敷田)に住む岩田長者という長者の屋敷裏に落雷があり、その雷神が赤い玉と化して八竜の山に飛び去ったが為に村民が「八大龍王宮」と称えて祀るようになったもので、以後当地では赤いを飼うこ事は禁忌とされたとも伝える[2]寛永8年(1631年)に社殿を建立した。

明治5年(1872年)に村社に列し、同44年(1911年)9月10日に大字南敷田字樋田の天穂日命と菅原神を祀る神社(境内社に蛭子命を祀っていた)を、大正2年(1913年)4月20日に大字中敷田字潤尾の応神天皇、神功皇后、武内大臣を祀る八幡宮と、大字上敷田字金剛寺の崇徳天皇を祀る金比羅宮(境内社に倉稲魂命と火産霊命を祀っていた)を合祀した。

境内社

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摂社

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末社

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境内に八坂社(素盞嗚男命)、出雲社(大国主命)、蛭子社(事代主命)、天神社(天御中主命)、稲荷社(倉稲魂命)、伊勢社(同前)、天満社(天穂日命・菅原神)、金刀比羅社(天照大神・素盞嗚男命・少名彦神申田彦命)、厳島神社(市杵島姫命)、作神社(稲田姫命。明治19年3月に大字下敷田字八龍から迎えた)の石祠があるが、いずれも由緒不詳。

その他、行幸所(御旅所)境内に祇園社(素盞嗚男命。明治19年2月に字恵良山から遷座)、秋葉社(軻遇突知命)、金刀比羅社(大己貴命)の石祠があるがこれも由緒不詳。

交通

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JR九州日豊本線天津駅付近の北側線路沿いに大きく「二葉山神社」と書かれた看板(看板の下は数台規模の駐車場)があり、その上の微高地に鎮座する。

大字富山の二葉山神社

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二葉山神社
所在地 大分県宇佐市大字富山字若山970
位置 北緯33度33分41.9秒 東経131度16分50.5秒 / 北緯33.561639度 東経131.280694度 / 33.561639; 131.280694
主祭神 大己貴命
玉依姫命
社格 旧村社
創建 天保10年(1839年)
例祭 12月18日
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祭神

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大己貴命玉依姫命とを祀り、八雷神軻句突知命を合祀する。

由緒

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天保10年(1839年)9月20日に大字下敷田の二葉山神社から勧請された。

大正2年9月17日に字飛永の八雷神と軻句突知命を祀る神社を合祀している。

脚注

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  1. ^ a b c 『宇佐市史下巻』。
  2. ^ 『大分県の地名』。

参考文献

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  • 『大分県の地名』(日本歴史地名大系45)、平凡社、1995年ISBN 4-582-49045-X
  • 『宇佐市史』下巻、宇佐市史刊行会、昭和54年

関連事項

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