久米徳太郎
大日本帝国陸軍軍人
久米 徳太郎(くめ とくたろう、1869年9月4日(明治2年8月11日) - 1924年(大正13年)6月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2][3]。
久米 徳太郎 | |
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生誕 |
1869年9月4日 日本 茨城県 |
死没 | 1924年6月13日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891年 - 1922年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集茨城県出身[1][2]。1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[1][2]の後、参謀本部附、戸山学校附、近衛歩兵第3連隊附、歩兵第18連隊附、歩兵第6連隊大隊長を務める[3]。
1916年(大正5年)4月に陸軍歩兵大佐・歩兵第36連隊長[3]
1920年(大正9年)8月に陸軍少将・歩兵第4旅団長
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。